「“祝祭”としての選挙でも陰りが…」 「2025年問題」を前に創価学会、公明党はどこへ向かうのか 最強の「政治宗教」に見える限界
“祝祭”としての選挙
こうして、教団成長によって現証された教えと教団の正しさを、衆参両議院の選挙と地方の統一選挙で勝利することで再確認する方向にシフトしてきたのではないだろうか。 選挙活動を行う学会員は、世帯票のみならず友人・知人への依頼含めてかなりの労力を割いて選挙戦を戦う。日頃眠っている人間関係がにわかに活性化され、組織的結束力も強まる。選挙では勝利を体感できる。このような“祝祭”を通して教団の求心力は高まる。 もちろん、この戦略が功を奏したのは、55年体制が崩壊し、与野党の連立模索の10年を経て、99年から自公政権が発足したからである。創価学会=公明党は、70年の「政教分離批判」によって一敗地にまみれたものの、30年かけて政権与党の一角を占めるに至り、この地位を20数年にわたって維持しているのである。
池田大作名誉会長の死去
教団宗教としても社会組織としても一人勝ち状態の創価学会だが、この先は必ずしも安泰というわけではなさそうである。 池田大作名誉会長は、初代会長牧口常三郎と第二代会長戸田城聖と共に「永遠の師匠」として創価学会員から尊崇されてきた。昨年の死去以前から、2017年に創価学会会憲が制定され、23年には創価学会の教義を論じた教学要綱が発刊されるなど、カリスマによらない指導体制が準備されてきたとはいえ、創価学会=公明党にも、2025年というタイミングで転機の兆しが見えてきている。 まず、政治宗教教団としての出力は、池田名誉会長と信者たちの「師弟不二」の信仰に支えられてきたはずだが、師匠亡き後、忠誠心の向かう先が創価学会や公明党といった組織本体に置き換え可能なのか。 これは、教団成長期の第一世代・第二世代の信者が老境に入る時期にも重なっている。そんな中で、第三世代・第四世代の若き信者に信仰が継承されているのかどうか。されていても熱量は往時のそれではないだろう。こうした世代の信者を選挙戦に動員できれば公明党にはよいだろうが、創価学会では「宗教二世」として強制を拒む若い世代が顕在化していて、今後ますます教勢を削がれることになる。 また、自公政権と一蓮托生の選択をとったままでよいのか。国会や地方議会で議席を確保し、地域や学会員の御用を聞き、声を届けるだけの政党に創価学会の若い世代は夢を感じるだろうか。