「“祝祭”としての選挙でも陰りが…」 「2025年問題」を前に創価学会、公明党はどこへ向かうのか 最強の「政治宗教」に見える限界
会員数は「75万世帯」から「750万世帯」に急拡大
なぜ、池田氏や創価学会はこれほど政治にこだわり続けたのか。そこには、教団の成長戦略を政治に求めざるを得なくなった背景があると私は考えている。 創価学会の信者数は、第二代会長戸田城聖が折伏大行進によって社会の各領域と軋轢を起こしながらも、57年には75万世帯に達していた。学会では本尊授与世帯数をもって信者数としている。58年に戸田が亡くなり、60年に第三代会長に就いた池田氏は70年までに750万世帯を達成している。 この時代は高度経済成長で日本全体が底上げされたとはいえ、波に乗り損ねた人、地方から都市に出てきて居場所を探しあぐねていた人々も相当数いた。創価学会のみならず、日本の新宗教が教勢を拡大し、信者が豊かになれば教団の財政規模も拡大できた時代だった。
“市場”は飽和し……
ところで、公明党が最大票数を獲得できた2005年に創価学会の信者数は827万世帯であり、現在に至るもこの数値に変化はない。いささか不思議なことなのだが、1970年以降の55年間でも、信者数は77万世帯しか伸びていないことになる。なぜか。 創価学会の教えと折伏の手法によって信者となるべき人たちは、70年代頃までに既に信者になってしまった。宗教市場における仏教系新宗教の領域は飽和したのである。この後は、霊術系新宗教からオウム真理教、スピリチュアル・ビジネスなどに連なる別領域の市場開拓が必要だった。 ところが、創価学会は国内ではさらなる拡大を求めなかった。急激に拡大していささか贅肉体質でもあった教団組織の筋肉化、組織の自己組織性の向上を優先したとみられる。その一つが海外布教であり、75年に設立されたSGI(創価学会インターナショナル)は、現在280万人の海外信者を得ているとされる。91年に日蓮正宗との軋轢で破門されたことを奇貨として、自前の本尊、墓苑、僧侶によらない葬儀=友人葬も開発した。教学部門や文化活動の充実も池田名誉会長による世界の偉人との対話によって進められた。