三上博史、“アイドル”的人気に苦悩した過去「僕の音楽なんてどうでもよいというのが手に取るようにわかって」
オフ・ブロードウェイで1997年に上演された『ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ』。性別適合手術を受けたロックシンガー、ヘドウィグの愛と自由を渇望する人生を、数々の名曲とともに描いた名作。日本での初演は2004年。このときヘドウィグを演じたのが三上博史さん。20年の時を超え、三上さんのヘドウィグがライブバージョンとして再び帰ってくることになった。作品との出会い、時を経て『ヘドウィグ~』が三上さん自身に与えたもの。そして三上さん自身の原点ともいえる寺山修司さんとの出会い。それぞれ熱を込め、語ってくれた。【第3回/全4回】 ■【画像】渋い横顔!インタビュー中、真剣な面持ちの三上博史さん■ 1987年には映画『私をスキーに連れてって』が大ヒットし注目を集め、翌1988年には“月9”ドラマ『君の瞳をタイホする!』でブレイク。その後、いわゆる「トレンディードラマ」に数多く主演。三上さんにとっての「CHANGE」の時期を迎えたが、その時期、忘れられない思いを抱えた時期でもあったという。 「25歳の時、全国40か所以上のツアーをやったんですけど、映画の直後ということもあって、お客さんも“見たい”、“会いたい”というノリでした。アイドル……平たく言ってしまえばそういうことだったんだと思いますが、僕の音楽なんてどうでもよいというのが手に取るようにわかって、本当に嫌だったんです。 “これは音楽のコンサートですよ”って言ってるのに、“キャー!”て感じで。それでもう、顔を白塗りで隠して、衣装はタイツに性器のパッドをつけたりして、とにかくみんながげんなりするようなことばかり考えてやっていました。 最初はワーって手が挙がってたのに、だんだん手が下がってきて、シーンとしてくる。でもそんなことをやってたら、ツアーの途中ぐらいでみんなの気持ちに応えられない自分に罪滅ぼしの意識も生まれてきて……。
観客から期待されることと、自身が届けたいことのギャップ
僕自身“これはこのまま最後までできないぞ”と思って、考えたときに、“影アナウンス”をやるようにしたんです。本編で喋るのは嫌だったので、終わると舞台袖に行って“本日の三上博史公演はこれで終了となります。足元に気をつけてお帰りください”みたいなことを毎日やってバランスを取っていました」 求められるものと、届けたいものへのギャップで押しつぶされそうになった20代の頃。それでも表現そのものには迷いなく突き進み、今回はかつて演じたヘドウィグとしてライブステージに立つ。求められる世界と届ける世界。今は三上さんの中でそのアプローチは明確になっているようだ。 「今回は皆さんが求めているものや、何を見たいのかが、すごくよくわかる。“三上博史がヘドウィグを歌う”というシンプルな形でもいいのかもしれないけど、それではもう、皆さんが許さないだろうと思うんです。だからヘドウィグの扮装をします。あとはもう、ヘドウィグの世界に皆さんを連れていきたいです。突き放してるんだけど、ものすごく温かいセーフティーネットがある世界」