侍ジャパン・井端監督も出身!「地獄、刑務所と表現したOBも」…阿波野秀幸氏と与田剛氏が振り返る「日本一厳しい」《亜細亜大学野球部》での「想像を絶した日々」
「大学生なのに坊主頭!?」
日本一厳しい野球部と称されてきた亜細亜大学。常軌を逸した練習メニュー、耳を疑いたくなるような寮生活。「地獄」「刑務所」とまで表現するOBさえもいる。 【マンガ】PL学園・野球部の「ヤバすぎる3年間」で僕が学んだこと 「亜細亜大に行っていなければプロになれなかった」と迷うことなく断言する阿波野秀幸氏、与田剛氏の両OBも「もう1度、戻ってやれるか」と聞かれれば、返答には躊躇してしまう。しかし、ただ厳しい、苦しいばかりではなかった。そこには確かに「青春」があったのだ。 対談を行うために借りた会議室は開始10分前にならないと入室できない旨は伝えていたものの、与田氏は15分前にはすでに会議室が入る建物の前に到着していた。1学年先輩の阿波野氏とは当日に電話でやりとりして時間ちょうどになると聞かさていたという。 一方の阿波野氏も余裕を持って時間前に入室。時間に厳格であることもその一つだが、4年間で身に染みわたった亜大の教えは卒業から40年近く経った今も変わりようがなく、当時の記憶も色あせることがない。 * 阿波野 3年前には野球部の寮も新しくなったし、監督も今年から亜細亜のOBではなくなって、坊主頭も強制ではなくなった。いろいろと変わっているけど、僕らのときは今では考えられないことが多かったよね。 与田 本当にそうでしたね。入学する前に受けたセレクションの段階で、もう面食らうことばかりでした。子供っぽいと笑われてしまいそうですけど、最初に「エッ、坊主頭なの?」と思いました。坊主頭の大学生なんているんだって、びっくりしました(笑) 阿波野 はははっ。今みたいに情報が行き渡っていない時代だから知らないよね。 与田 はい。先輩によっては坊主頭にヒゲ。下級生なんかツルッツルみたいな坊主頭ですから。高校のときでももうちょっと長かったのに。普通の髪型で大学にもちゃんと行ってキャンパスライフを送るみたいなイメージを持っていたんですけど、大学に行く時間もそんなに多くないと聞かされて。 阿波野 確かにね。当時はリーグ戦中は公欠で、大学に行くのは春のリーグ戦が終わったあとの6月と、秋のリーグ戦が終わってから1月の試験までだけだったものな。ずっと出ていないから、授業に出ても先生がなにを言っているかもわからないし。 与田 抱いていた大学生のイメージはどこにあるのって。
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