侍ジャパン・井端監督も出身!「地獄、刑務所と表現したOBも」…阿波野秀幸氏と与田剛氏が振り返る「日本一厳しい」《亜細亜大学野球部》での「想像を絶した日々」
「考えが甘かった」
与田 “かわいがり”と言えばいいんでしょうか(笑) 「自習室」と呼ばれていた広さが100畳くらいある部屋ですね。 阿波野 「大集合」のときは70~80人の1、2年生、みんな入れたからね。入部してからはきちんとした理由があって集合がかかるということがわかるんだけど、まだ高校生だから「道具の手入れを少し怠っていただけでそんなことになるの?」って。 そのときは同期のパンチ(佐藤)もいたけど、みんなで「俺たちこんなところに入って大丈夫なの?」ってなった。 与田 僕もセレクションのときに同じような光景を見ましたし、そのときの寮の雰囲気。4年生から1年生までが部屋の中に皆さんいらっしゃって、その中での下級生の立ち居振る舞いを2日間、見ましたから。 部屋の入り方、食堂の食器の並べ方、何cmずれたらダメだとか、そういうことまでバーッと見て、洗濯が終わらないから日付が変わっても皆さん起きていた。寝られるのは4、5時間くらい。僕らはゲストなので何もしなくていいんですけど、居ても立っても居られないじゃないですか。「来年から、同じことを俺がやるのかな」って。 阿波野 与田は高校のときは寮があったの? 与田 自宅からひと駅だったんで通いでしたけど、大会前だけ寮に入っていました。 阿波野 高校のときに厳しい寮とかに入っていたら、そんなにギャップもないんだろうけど、僕は通いで寮生活もしたことがなかった。 与田 僕らのときは高校も結構、厳しかったんですよ。先輩後輩の上下関係、寮の規則。だから自信を持っていたんです。「高校で耐えているから、全然、なんてことないだろう」と。ところが、とんでもなかった。比較にならないというのが2日見ただけでわかった。「これはやばいぞ」と。寮も決して綺麗とは言えなかったですしね。 阿波野 照明も明るくなかったもんね。 与田 僕、おばあちゃん家に行ったときに古い洗濯機を見てびっくりしたんですよ。 阿波野 二層式の。 与田 はい。脱水機能もあるんですけど、くるくる回りながら板みたいに伸ばされていく。亜細亜の寮もあれだったじゃないですか。「えっ、こんな洗濯機を使っているの?」って。いろんな驚きが詰まっていました(笑) でも、なにより驚かされたのは、先輩たちのレベルの高さ。レギュラー組が投げるプルペンと、そうではない人たちが投げるブルペンは違う場所にあったんですけど、レギュラー組で投げている人たちは輝いていました。そこには1年生から活躍していた阿波野さんもいたわけですけど。こんなにすごい人たちが集まるものなんだ、と。 僕は高校生のときは大したレベルじゃなかったから、同学年のすごい選手は見てもいないわけです。甲子園に出ればそれなりの選手と対戦する。同級生や1個下でこんなやつらがいるとかね。でも自分がそういう舞台に立ったことがないので、練習だけでビビりました。 風貌だけでなく、本当に大学生かなと思うような方もたくさんいました。レベルの高さ、人数の多さ。セレクションを受けに来ていた選手たちも僕なんかよりも全然うまかった。「俺はなんて考えが甘かったんだろう」と。阿波野さんは亜細亜には推薦で入られていますよね。
【関連記事】
- 【つづきを読む】「みるみるうちに痩せていく」「入学式前に1/4以上が辞める」…二人の大物OBが振り返る「日本一厳しい亜細亜大野球部」での「プロになれた分岐点」
- 【つづき】「洗濯で夜は寝られず手が血だらけに」「先輩が寝るまでマッサージとうちわ」…大物OBたちが《日本一厳しい》亜細亜大野球部では「生真面目でも、いい加減でもダメ」と語る「深い理由」
- 【つづき】亜細亜大学野球部大物OB対談「プロになれた理由」と「“日本一の厳しさを”乗り越えたからこその感動」…「恋人の手紙に一緒に涙した仲間」「伝説のドラマで一体になれた上級生」「真剣にハラをくくってくれた恩師」
- 「初激白」今江敏晃前監督が電撃解任後、初めて語る楽天の「真実」
- 「2度と出てこないレベルですよ」…現役を引退した、青木宣親が語る《イチロー・ダルビッシュ・大谷翔平》への本音【独自インタビュー】