<ボクシング>村田 辰吉も絶賛 思い出の地でKO勝ち
村田の南京時代の話をこのまま書き進めば、一冊の本になってしまうので割愛するが、私は、試合直前になって「南京では、たくさんのエピソードがあるんやろうけど、その中でも、一番辛かったトレーニングは何か?」と聞いた。 「7キロ走っすかね」。 朝の練習で毎日走るが、真夏でも真冬でも欠かさず行われた金曜日のロードワークを彼らは、「7キロ走」と呼んでいた。学校から外に出て、高速道路の向こうに側にある山道を駆け巡るというアップダウンの激しいクロスカントリーコース。正確な距離を計測したわけではないが、部員は、それを「7キロ走」と呼んでいたそうだ。全部員によるヨーイドンの競争だが、2年生になった頃から村田は、いつも先頭を走った。ただ先頭だからOKというわけではない。武元先生が、ストップウォッチを持っているので、常に全力で走らなければならなかった。村田は、ほとんど23分40秒前後のタイムで帰ってきた。「どんなに辛いときにも彼は、絶対に手を抜かなかった」とは、西井先生。それが村田の貫いた尊厳であり、彼のアスリートとしてのスプリットのルーツである。 メキシカンに“参った”と言わせた強烈なパンチ力と、強烈なプレッシャーを生みだしている頑丈な下半身は、全力で山道を走った「7キロ走」にあるのは間違いない。 試合後に、武元先生がこの試合を見ていたらどう言ったと思う?と聞かれた村田は、「『よかったんじゃねえか』のひとことだけでしょう。いつもそうでした。明日、お墓参りに行きます。そのときに先生の言葉が降りてくるかもしれませんね」と嬉しそうに言った。 さて、村田のここからの青写真である。本田会長は、「あと2試合は、いろんなことを試すことのできるキャリアのある相手と経験を積み、来年に世界ランカー。そこから先は、その内容と、タイミングを見ながら世界挑戦を探っていく」と断言した。次戦は、シンガポールでの海外戦となる可能性もある。村田も「(ミドルは)簡単に世界戦を組めるところじゃない」と言う。