生きるのはなぜこんなに不安なのか…どこにいっても居場所がない「人間の本質」
明治維新以降、日本の哲学者たちは悩み続けてきた。「言葉」や「身体」、「自然」、「社会・国家」とは何かを考え続けてきた。そんな先人たちの知的格闘の延長線上に、今日の私たちは立っている。『日本哲学入門』では、日本人が何を考えてきたのか、その本質を紹介している。 【画像】日本でもっとも有名な哲学者がたどり着いた「圧巻の視点」 ※本記事は藤田正勝『日本哲学入門』から抜粋、編集したものです。
「学の哲学」から「生の哲学」へ
日本の哲学の基礎が踏み固められるうえで西田幾多郎が果たした役割は大きいが、それを踏まえ、あるいはその影響を受け、日本の哲学は大正から昭和に入った頃にさらに多様な展開を遂げ、豊かな成果を生みだしていった。ちょうどこの時期に多くの研究者がヨーロッパに留学し、新しい哲学の潮流に触れたこともその要因となった。 たとえば九鬼周造や田辺元、阿部次郎、三木清、高橋里美、務台理作、和辻哲郎らが大正の後半から昭和の初めにかけてドイツ、フランスに留学し、帰国後、ヨーロッパで吸収したものの上に独自の思想を作りあげていった。 彼らが留学した一九二〇年代は、ヨーロッパの哲学がもっとも輝かしい光を放った時期であった。そのときヨーロッパ、とくにドイツは第一次世界大戦後の大きな混乱のなかにあったが、文化のさまざまな領域において、伝統的なものを打ち破る新しい実験が大胆に試みられた。 哲学の領域においても、二十世紀の哲学の大きな潮流はほとんどこの時期に成立したか、あるいは大きな発展を遂げた。田辺元はこの変化を「認識論と現象学」(一九二五年)と題した論文のなかで、「学の哲学」から「生の哲学」へと表現したが、それまでにない新たな視点から、実在とは何か、人間とは何かということが問い直されていった。つまり、存在や人間を意識・知・理性・論理(同一性)の側からのみとらえるのではなく、むしろそこからあふれでるもの、それらによって覆い隠されるもの、背後にありながら、逆に表面に出ているものを支えているもの、そういったものにまなざしが向けられた。具体的に言えば、感情や欲望、身体、無意識、環境、差異性といったものが視野のなかに取り込まれていった。 現代、まさにこうした問題に熱い視線が注がれているが、出発点はこの時代にあったと言ってよいであろう。本講ではこの新しい思潮を日本の哲学者たちがどのように受けとめ、そこからどのようにして独自の思索を紡ぎだしていったのかを見てみたい。 いま述べたような新しい哲学の潮流に触れ、日本において哲学の新たな展開に大きな寄与をした哲学者の一人に三木清がいる。三木は西田幾多郎のもとで学んだあと、ヨーロッパに留学し、最初ハイデルベルク大学で新カント学派の泰斗ハインリヒ・リッケルト(Heinrich Rickert, 1863-1936)のもとで、次いでマールブルク大学で、当時まだ少壮の学者であったマルティン・ハイデガー(Martin Heidegger, 1889-1976)のもとで学んだ。