大相撲大阪場所、地元の宇良に観客が爆声援!初日から「大荒れ」に。1横綱4大関のうち、勝ったのは新大関・琴ノ若とカド番の貴景勝だけ
◆王鵬 個人的に不満だったのが、関脇に戻った若元春と自己最高位の前頭3枚目となった王鵬の対戦。琴ノ若が花道に登場したため、テレビカメラが琴ノ若を映し出した。太田アナウンサーも舞の海さんも、琴ノ若オンリーの談話体勢に入った。 祖父、父親との関係を語るなら王鵬は、祖父は元横綱・大鵬で、父親は元関脇・貴闘力だ。若元春も祖父は元小結・若葉山、父親は元幕下・若信夫だぞ。とにかく、若元春と王鵬のファンだから、仕切り中の表情を見たいのだ。 注目の力士を画面にアップしても良いが、テレビ画面の端っこに四角を作り、いま仕切っている最中の力士たちを映して欲しい。そちらのファンもいる。 王鵬は若元春を土俵際まで押したのに、引き技をして負けてしまった。王鵬はよく引き技をして残念なことになる。負けた時、私は「ギェー。やっちまった!」と叫んだ。若元春も応援しているので、複雑な気持ちだった。
◆「道」を究める 初日の前日の9日に、私は近くのコンビニで和菓子やスナック菓子を買い込んだ。昭和20年3月10日、東京大空襲により約10万人が亡くなった。父の両親と妹も亡くなっているので、仏壇にお菓子を供えるためだ。私の母は下町の高等女学校の生徒だった。 米軍の爆撃機B29が焼夷弾を落とす中、弟と共に逃げまくり、国技館(旧)が燃えているのを見て「日本はもうだめだ」と思ったが、また相撲部屋のある街に住み、大相撲を見たい、という思いを胸に、耐えたそうだ。 母は大火傷を負い、現在の両国国技館の近くの両国駅の傍に弟とうずくまっている時に、はぐれてしまった父親が見つけてくれたそうだ。 母は大相撲を人生に活かしていた。60代の後半に、9歳年上の夫が難病で体が動かなくなった。おむつを嫌がる夫を、相撲の技を使ってトイレに連れて行き、腰を痛めることがなかった。これは母が独自に究めた「介護道」だと思った。 私は一人暮らしになっても、母が頼んでいた生協の宅配を利用している。配達員さんは長年同じ人で、私がいる時は、玄関で大相撲の蹲踞(そんきょ)の姿勢になり、外に置いた箱から野菜やら生活用品を出して、床に並べてくれる。 その動きが美しく、聞いたら腰を痛めないためなのだそうだ。配達員さんが独自に生み出した「宅配道」だと思った。 「道」を究めることは、日常生活でもできる。家の近くに車が多く通るのに信号機がない横断歩道がある。手を挙げて車を止めても、バイクが追い抜いて危ない時がある。渡るのには技術がいり、その道を究めることを私は「横断歩道」と名付けている。 体に負担のかからない正しい歩き方を究める「歩道」、規則を守る「自転車道」、水道の水を無駄にせず、水道料金を抑える「水道」など、生活のいろいろな場面で「道」を究めたい。 「横断歩道」、「水道」など日ごろ使われている言葉だからややこしいが、「相撲道」と同じく、あくまでも究めるための「道」(どう)なのだ。 今場所はどの力士が「優勝道」を究めるか?幕内はもちろん、若隆景と伯桜鵬のいる十両の「優勝道」にも期待したい。
しろぼしマーサ
【関連記事】
- 愛人と知人に金をつぎ込んで借金を残した父が難病で寝たきりに。それでも母は「夫としてではなく、人間として介護をする」と言い続けた
- 統合失調症の兄が認知症を発症、途方にくれた私に救世主が現れた。死期が近づいた兄は「おまえは俺の妹だ。可愛いよ」と言った
- 照ノ富士が4場所ぶり9回目の復活優勝。本割で霧島に、優勝決定戦では琴ノ若に横綱相撲で圧勝。琴ノ若は大関昇進へ
- キートン山田『ちびまる子ちゃん』で乗り越えてきた<別れ>。さくらももこさんのお別れの会ではTARAKOさんと二人でナレーションを担当も、悲しさと寂しさで胸がつぶれそうだった
- 追悼・鳥山明さん。「国民的マンガ家を他社のプロジェクトに関わらせる」のは担当編集者が最も嫌がってもおかしくなかったのに…国民的ゲーム『ドラクエ』が生まれた背景