人生最終章の風景【介護の「今」】
◇立て続けの電話
医師は「血圧が下がり始めた」と告げ、「懸命に手を尽くしているが、あと半日もつかどうか」と続けた。伯母は人工透析を受けていた。血圧の低下は透析にも悪影響を及ぼすらしい。 山口さんは仕事の仕上げを急いだ。すると、「意識がなくなりました」「あと10分はもたないかもしれない」と立て続けに連絡があった。そしてその直後、「午後3時15分、お亡くなりになりました。痛みはなく、安らかに逝かれました」と、伯母の臨終を告げる電話があった。 山口さんは、伯母の死に目に会えなかったことを悔やみながら、「ありがとうございました」と深く頭を下げた。
◇ワーカーからの電話
間髪を入れず、福祉事務所のワーカーから連絡が入った。遺体の引き取り、告別式の費用負担、葬儀業者の選定、市営住宅撤収の段取り…。山口さんは、仕事と親戚への連絡をこなしながら、死後の手続きの交渉を行った。 費用負担の折り合いがつくと、葬儀業者に引き継がれ、死亡届の方法、葬儀の宗派、告別式と火葬の日程調整などが目まぐるしく取り決められていった。
◇小さな告別式
告別式は、わずか3人の参列だった。葬儀社の2階に用意された小さな告別式の会場には、病院から紙袋に詰められた伯母の私物が届いていた。その他にもかなりの量の紙おむつもあった。紙おむつも私物なのだろう。 紙袋の中には、病院のスタッフが伯母に贈った手造りのバースデーカードもあった。山口さんは、かつて見舞いに行った時に伯母にプレゼントした肩掛けとそのカードをひつぎに忍ばせた。
◇市営住宅
火葬が終わると、山口さんは福祉事務所のワーカーと伯母の住んでいた市営住宅を訪れた。20年ぶりだった。しかし、家具の配置など何もかもが20年前と同じだった。1年間も主が不在だったのにもかかわらず、玄関の郵便受けに投げ込まれた郵便物や広告チラシの山以外は、昨日まで暮らしたような光景だった。だが、帰る人はもういない。
◇痕跡
洋服だんすには、ホームヘルパー派遣日時の週間カレンダーが大きく貼られていた。入院まで、伯母は在宅介護サービスを利用しながら、この家で踏ん張ったのだ。週3回の透析にもヘルパーたちの援助で通ったのだろうか。 伯母は、ヘルパーたちとこの部屋でどんな会話を交わしたのだろう。どんな思いで入院したのだろう。 古ぼけたアルバムもあった。若い頃の伯母は、ぽっちゃりしていた。澄まし顔の白衣姿もあった。感慨深くアルバムのページをめくる山口さんの横では、ワーカーが郵便物の整理を無表情で行っていた。(了) 佐賀由彦(さが・よしひこ) 1954年大分県別府市生まれ。早稲田大学社会科学部卒業。フリーライター・映像クリエーター。主に、医療・介護専門誌や単行本の編集・執筆、研修用映像の脚本・演出・プロデュースを行ってきた。全国の医療・介護の現場を回り、インタビューを重ねながら、当事者たちの喜びや苦悩を含めた医療や介護の生々しい現状とあるべき姿を文章や映像でつづり続けている。中でも自宅で暮らす要介護高齢者と、それを支える人たちのインタビューは1000人を超える。