なぜ中村俊輔は”キングカズ”が去ったJ2降格の横浜FCに残ったのか…継承する魂と背番号「25」に込められた思い
期限付き移籍とはいえ、カズが去った横浜FCで俊輔は最年長プレーヤーになった。6月には44歳になる年齢に対して、俊輔はこんな思いを明かしている。 「さすがに40歳を過ぎると、プレーさせていただいている、というところもある。それでも長くプレーするために、やってきたわけではないので。毎年、毎年が勝負だと思って35歳ぐらいから、いや、もっと前から1年契約を結んできたから」 レッジーナからセルティック、エスパニョールをへて、マリノスへ復帰したのが32歳になる2010シーズンの開幕直前。ほどなくして複数年ではなく単年契約を選択した俊輔は、まさに背水の陣を敷いて自らにプレッシャーをかけ続けてきた。 磐田でも、そして横浜FCでもスタンスは変わらない。ただ、磐田での2シーズン目だった2018年に40歳になり、故障も相まってピッチに立つ回数が減少傾向に転じ、入れ替わるようにベンチ入りメンバーから外れる試合も増えてきた。 横浜FCでJ1を戦った2年間を振り返れば、2020シーズンが10試合・240分、昨シーズンが12試合・249分にとどまった。そのなかで抱いてきた思いを、俊輔は「ベンチ外になったときには、頭にきましたけどね」と打ち明ける。 「まだまだやれる、と思ったので。しょんぼりしたというか、もうダメなのかとはいっさい思わなかった。一生懸命プレーするのは当然だけど、一番大事なのはメンタルですね。ベンチでもベンチ外でも、いかに自分を奮い立たせられるか、じゃないですか」 外部からはうかがい知れない練習場のロッカールームで、俊輔に対してカズが見せてきた姿を思い出さずにはいられなかった。週末の試合へ向けたメンバーが発表された直後。ベンチから外れたカズの立ち居振る舞いを、俊輔がこう明かしたことがある。 「メンバーに入りたい、入りたいと言ってめちゃくちゃ悔しがっていて、毎回のように最後は『頼んだぞ』と言われるんですよ」 このようなやり取りをカズと交わす機会は、もう訪れないかもしれない。それでもピッチに立つことに注ぎ続けられた情熱はしっかりと引き継ぐ。日本代表でも自身の象徴だった「10」を、今シーズンから「25」に変えた背番号に俊輔の決意が凝縮されている。 「さすがに『10番』をつけてベンチはダメでしょ。それもあったし、若い選手というか、これからという選手につけてほしいという思いもあった。玲央にはぴったりだし、逆に自分は初心に帰るというか、『25番』も好きなのでつけさせてもらいました」 横浜FCユースから昇格して4年目の21歳、ボランチの安永玲央に託された「10番」を喜びながら、俊輔は桐光学園から加入したマリノスで2年、セルティックと再び加入したマリノスで4年ずつ、計10年間も背負ってきた「25番」へ回帰する。