逆方向への長打より得意だったもの。サインを出されて役割を実感・井口資仁さん 野球のレジェンド「名球会」連続インタビュー(42)
プロ野球のレジェンドに現役時代や、その後の活動を語ってもらう連続インタビュー「名球会よもやま話」。第42回は井口資仁さん。ダイエー(現ソフトバンク)打線の中軸に座り、大リーグでワールドシリーズ制覇を経験。ロッテで日本復帰し、42歳まで現役を続けました。中堅から右方向への長打が印象的な右打者でしたが、もっと得意だったものがあると教えてくれました。(共同通信=栗林英一郎) 【写真】「Mー1グランプリに楽天のユニホームを着て出ていました」 お笑いコンビ・サンドウィッチマンが語る楽天と歩んだ20年 「日本一になったのはすごかった。家で見て泣いていました。何回見返したか。今でも消せないです」
▽木製バットと体力がマッチした結果の三冠王 小学校の少年野球までは捕手で、リトルリーグに入ってから内野手ですね。プロは目指してましたけど、あまり練習のきつい高校へは行きたくないし、文武両道っていう形を考えて東京・国学院久我山高へ。寮のある高校にも行きたくなかったので、通えるというところで選択しました。僕らの時代でも10年に1回ぐらいはプロへ行く選手が出るペースの学校ではありましたんで。(2年時の夏の甲子園大会出場は)練習時間もかなり短いし、こんなんで甲子園に行っていいのかなって思ってましたね。 高校時代もプロから誘いは頂いてたんですけど、金属から木製のバットに変わって苦しんでる人がかなりいたんで、大学でしっかり木製に慣れてからプロに行きたかった。それと、ちょうど僕が大学4年の時にアトランタ五輪があるので、高校の時に着ることができなかったジャパンのユニホームを何とか着たいっていう思いがありましたね。
青山学院大では1年の春に打率3割3分3厘打って、1年の秋が2割、2年の春が1割ぐらいだったんですよ。自分の中で何か変えないとプロにも行けないだろうと思っていました。2年春のシーズン中からですかね、ウエートトレーニングをやり出して、秋から木のバットと体がマッチしてくるようになり、急にホームランが出るようになりました(2年秋の東都大学リーグは打率3割4分8厘、8本塁打、16打点で三冠王を獲得)。4年間でリーグ歴代最多の通算24本塁打を記録したとはいえ、神宮球場は良い風がずっと吹いてるんで、打球を上げればスタンドに入る。ホームランバッターっていう認識は全くなかったです。広角に外野を越える中距離ヒッターだと思ってました。 ▽打率3割4分でも首位打者を取れなかった 当時のドラフトは逆指名制度があり、いろんな球団から話がありました。ダイエーはそこまで強くなかったですし、やっぱり強いチームに行くんじゃなくて、弱いチームを強くしたかった。その中で自分がしっかりとレギュラーを取って試合に出たいという思いがあったんで、ホークスを選ぶことになりましたね。福岡もかなり都会ですし、非常に温かく迎え入れてもらった感じでした。