「日本の初代天皇」とされる「神武天皇」と顔がそっくり…その「まさかの人物」
神武天皇、教育勅語、万世一系、八紘一宇……。私たち日本人は、「戦前の日本」を知る上で重要なこれらの言葉を、どこまで理解できているでしょうか? 【写真】初代天皇である「神武天皇」が「ある人物と顔がソックリ」その驚くべき理由 右派は「美しい国」だと誇り、左派は「暗黒の時代」として恐れる。さまざまな見方がされる「戦前日本」の本当の姿を理解することは、日本人に必須の教養と言えます。 歴史研究者・辻田真佐憲氏が、「戦前とは何だったのか?」をわかりやすく解説します。 ※本記事は辻田真佐憲『「戦前」の正体』(講談社現代新書、2023年)から抜粋・編集したものです。
「神武天皇と今上陛下は御一体」
このように神武天皇の存在感が高まると、挿絵などで具体的なイメージが求められるようになった。 現在、神武天皇というと、どのような姿を想像するだろうか。試しにグーグルでイメージ検索してみると、その特徴はおおよそつぎのとおりとなる。 長い髪を左右に分け、両耳のところで束ね(みずら)、首元には勾玉のネックレス。顔つきは凛々しく、豊かな口髭と顎髭を蓄える。白くゆったりとした上着は腰もとの帯で締められ、袴も膝下あたりで上から紐でくくられている。そして腰に太刀を佩はき、背中に矢筒(靭(ゆぎ))を背負い、片手には長い弓。そして弓の先には金鵄(きんし)が輝いている。 当時のイメージもここから大きく離れるわけではない。『日本教科書大系』で明治期の歴史教科書をみてみると、大きく違うのは頭部ぐらい。顔が平安絵巻のような引目鉤鼻(ひきめかぎばな)だったり、髪型が長髪もしくは髷だったりする。ただどれも鮮明とはいいがたく、細かい分析には向かない。 そこで、ここでは彫像をみてみたい。立体物の彫像は、挿絵と違って360度、細部まで作り込まなければならず、ごまかしが利かないからだ。 その先駆例は、東京美術学校(現・東京芸術大学美術学部)教授の竹内久一によって制作された、木像の神武天皇である。新聞『日本』の懸賞当選作品で、1890(明治23)年、第3回内国勧業博覧会に出品された。やはり皇紀2550年のことだった。 この木像は、大八洲(おおやしま、日本の異称)、八咫鏡(皇位の象徴である3種の神器のひとつ)、八紘から、高さは八尺(約2.4メートル)とされた。やはりゆったりした衣服を身に着け、勾玉のネックレスをつけ、太刀を佩いている。 際立った特徴は、今回も頭部である。まず、髪型はみずらではなく、オールバックになっている。しかしそれ以上に興味深いのは、顔の彫りが深く、凛々しいことだ。ここが平安絵巻のようであった教科書のそれとは大きく異なる。 神武天皇といっても、その顔がわかるわけがない。想像するにしても手がかりがほしい。一歩まちがえれば、不敬と責められかねない──。竹内は困った挙げ句、ついに明治天皇に似せることを思いついた。 天皇は万世一系である、神武より今上まで連綿として引き続いて居る日本は芽出度い国柄である、そして見ると神武天皇と今上陛下は御一体である、御一体でなくてはならぬ、されば宜しく 陛下を摸し奉るに如しくものはないとて即座にさう定めてしまつた。 (「先帝陛下と神武天皇」) 神武天皇から途切れず今上天皇まで皇統が連綿とつづく日本では、神武天皇と今上天皇は一体でなければならない。竹内はこう理屈づけることで、明治天皇を模写することを正当化した。 なるほど、そう言われてあらためて神武天皇の木像をみると、明治天皇の面影が感じられなくもない。