「日本の初代天皇」とされる「神武天皇」と顔がそっくり…その「まさかの人物」
西洋化こそ古代回帰?
竹内は明治天皇の姿を直接見たというが、やはり参考にしたのはわれわれもよく知るあの御真影(お写真)ではないか。 短髪で豊かな髭を蓄えた明治天皇が、軍服を着用し、胸を張り出すように椅子に腰掛け、左手はサーベルを掴み、右腕はサイドテーブルに載せながら、こちらを凝視している──。この御真影は1888(明治21)年に撮影され、1890年代以降、各小学校などに頒布されたものである。 この御真影の成立については、猪瀬直樹の『ミカドの肖像』がもっとも先駆的によくまとめている。 それまで明治天皇の肖像は、明治初期に撮影された写真(和装と軍装)と、それをモデルに描かれた絵画だった。これらは、髭が薄く、顎が細く、いかにも東洋人らしい見た目をしている。 ところが、有名な御真影では、いかにも西洋の君主らしい大柄な風体をしている。なぜか。それは、日本政府に招かれたイタリア人の銅版画家エドアルド・キヨッソーネが記憶をもとに描いた肖像画を、写真家の丸木利陽が撮影したものが御真影だったからである。明治天皇は写真嫌いだったため、このような複雑な手段がとられたのだ。 キヨッソーネはモデルの写真があるときは、それに忠実に描いた。だが、それを欠き、想像力に頼ったばあい、どうしても慣れ親しんだ西洋人の姿に引きずられた。 現実よりも、凛々しく、雄々しく、西洋風に。そんな明治天皇の御真影をもとに、神武天皇像もつくられたのだとすれば──。これほど皮肉なこともあるまい。 というのも、西洋を内面化させた明治天皇の肖像をもとに神武天皇像をつくることで、現在の西洋化された明治天皇こそ神武天皇の復活だと循環的に説明することができるようになっているからである。 言い換えれば、西洋化こそ古代回帰だという倒錯したロジックがここで可視化されている。神武創業とは、やはり西洋化だったのだ。 さらに連載記事<「日本の初代天皇」とされる「神武天皇」のお墓がどこにあるか知っていますか>では「戦前の日本」の知られざる真実をわかりやすく解説しています。ぜひご覧ください。
辻田 真佐憲(文筆家・近現代史研究者)