大手出版社と直接取引できるようになるのは”来世紀中”は無理!?[第1部 - 第8話]
提携先でもあった徳間書店がダイヤル・キュー・ネットワークに可能性とシナジーを見出し、受け皿となる法人を作ってくれたので、翌5月に僕は他の役員・社員15名と共に株式会社徳間インテリジェンスネットワークに転籍しました。
当時の徳間書店は書籍の出版だけでなく、実写映画の大映、アニメ制作のスタジオジブリを擁し、原作から制作、配給・宣伝までをグループ全体で取り組んでいる総合出版会社でした。「徳間ジャパン」というレコード会社まで持っている大企業だったのですが、代表の徳間康快氏からは、「これからは放送と通信が融合する時代が来る。書籍、映画、アニメ、音楽が全部1つの管で流通する時代が来るんだ。君たちには、徳間グループ2,000人が生み出すコンテンツの新しい流通チャネルを作ることを期待している」と激励されました。
配属は営業企画部で、徳間グループのコンテンツをダイヤルQ²回線にのせるサービスの事業化が当座の役目でした。ダイヤルQ²の他にも、東京FMとの「PCM音声放送」と呼ばれるインタラクティブラジオのサービス開発案件も担当しました。通信衛星やISDNなど「高度情報社会」の新しいインフラを使ってどんなコンテンツを作るかを企画していました。 徳間書店は、この5年後の1996年、博報堂や旭通信社などが出資して設立した「メディアレップ」と呼ばれるインターネット広告専門の広告代理店、デジタル・アドバタイジング・コンソーシアム株式会社の創業株主にも名を連ねています。インターネットが商用解禁される随分前から、新しい流通チャネルの開発を模索していたんですね。「メディアレップ」については、次回以降の記事で詳しく触れていきます。
1992年8月、日広(現GMO NIKKO)を創業
加藤:僕はダイヤルQ²を使った販促や広報の与件も担当し、映画『おろしや国酔夢譚』『紅の豚』などの宣伝PRが進行していく過程を目の当たりにしました。もちろんおもしろくはあったのですが、約1年4カ月在籍した後に退職することを決めました。 理由としては、ダイヤル・キュー・ネットワークから続いていた男女のマッチング伝言サービスが終了することになったからです。僕はその事業を救うために徳間インテリジェンスネットワークに移籍したようなものだったので、それをやめるのであれば、徳間グループにいてもあまり意味がないと感じていました。 そんな時に、ツーショットダイヤル業界の大手2社から声をかけられました。ツーショットダイヤルとは、男性はダイヤルQ²か一般電話回線の電話番号に、女性はフリーダイヤルに電話をかけて、ランダムに結線して気に入らなければワンプッシュで別の異性につながるというマッチングサービスでした。 彼らには基本的に表の商売があって、新宿でセールスの会社をやっていたり、渋谷で飲食店を経営したりしていましたが、その裏で別の会社を作って、ひっそりとツーショットダイヤルサービスを運営していました。つまり、世を忍んでやっていたんですね。 ここで重要になるのが、女性用のフリーダイヤルの宣伝と、男性がかける電話番号の宣伝をどれだけ多く効率的に打てるかどうか。マッチングさえすれば1分100円で課金されるので、宣伝が全てです。ところが僕の知っていた大手2社とも、表立って堂々と広告の調達ができないわけです。 そんなわけで、彼らは僕に「俺の会社の宣伝をしてくれ!」と連絡をしてきました。「何をするんですか?」と聞くと、成年誌、グラビア誌、劇画雑誌、情報誌、さらには過激な性表現がOKのレディースコミック誌などの広告枠を仕入れてこい、とのことでした。「いや僕、紙広告はやったことないので」と言ったのですが、「金はやるからとにかくやれ!」と言われて、引き受けるしかありませんでした(苦笑)。