ナイジェリアの少女拉致 「ボコ・ハラム」とはどんな組織か?
ワールドカップ・ブラジル大会の開催前日6月11日、ナイジェリアでは複数のパブリック・ビューイング会場の閉鎖が発表されました。理由は、イスラム過激派ボコ・ハラムに攻撃される危険があるというもの。4月14日に発生した、200名以上の少女拉致事件で一躍その名が知られたボコ・ハラムとは、どんな組織なのでしょうか。
「ボコ・ハラム」が拡大した背景
「ボコ・ハラム」とは、ナイジェリアの主な言語の一つハウサ語で「西洋の教育は罪」を意味します。2002年頃、イスラム教徒の多いナイジェリア北東部ボルノ州で、進化論が教えられる世俗的な学校教育や、イスラムの教義に反するアルコール販売を認めるナイジェリアの現体制を批判して結成されました。 アフリカ第一の産油国でありながらナイジェリアでは汚職が蔓延しており、貧富の格差も深刻。社会に不満を募らせた若年層を中心にメンバーを増やし、ボコ・ハラムは徐々に過激化していきました。2009年7月、軍との間で初めて大規模な戦闘を展開し、創設者モハメド・ユスフが死亡しました。 しかし、2010年7月にアブバカル・シェカウが新たな指導者に就任すると、ボコ・ハラムはさらに過激化。米国務省によると、2012年1年間の襲撃は364回。それによる死者は1,132名にのぼり、これは同じ年、アフガニスタンのタリバンによるものに次ぐ多さです。
ナイジェリア国外でも多くの誘拐事件
ボコ・ハラムの標的は当初、公的機関や海外企業がほとんどでしたが、徐々に一般市民にまで拡大。シュカウによると、「サッカーと音楽はイスラムの信仰を乱すための西側の策略」。今年5月には中部ジョスで、欧州チャンピオンズリーグの決勝戦を放送していたビューイングセンターが爆破され、3名が死亡しました。 また、少女拉致事件以外に国外でも多くの誘拐事件を引き起こしており、2013年2月には隣国カメルーンでフランス人旅行者7名を拉致。誘拐は、人身売買や身代金の強奪が目的とみられます。 米国は、ボコ・ハラムがソマリアの「アル・シャバーブ」など、アフリカの他のイスラム過激派と連携する危険を懸念。2011年11月、米国議会はボコ・ハラムを「米国本土に対する脅威」と位置づけ、2013年6月にはシュカウに700万ドルの懸賞金を出しています。また、米国は少女たちの捜索のために無人機を派遣しています。