「帝拳ジムの母として多くの選手を育てボクシングと添い遂げた人生」元WBA世界ミドル級王者の村田諒太が語る99歳で逝去した長野ハルさんの偉大なる功績
70年以上も、ボクシングを見続けてきた長野さんの選手を見る目、ボクシングを見る目は確かだった。 村田氏の動きを一目見た長野さんは言った。 「膝が堅いわね」 それは村田氏の欠点だった。 長野さんは村田氏のことを「村田さん」と呼んだ。 忘れられない言葉がある。2017年5月にアッサン・エンダム(フランス)とのWBA世界ミドル級王座決定戦に挑み、ダウンを奪い試合内容で圧倒しながらも疑惑の判定で負けにされた。10月にダイレクトリマッチが組まれたが、絶対に負けられない戦いを前に村田氏は、大きなプレッシャーを感じていた。その苦悩を近くで感じ取った長野さんが、こう語りかけたという。 「村田さん、攻撃が最大の防御よ」 村田氏はその言葉で吹っ切れた、原点である闘争心を思い出し、7回TKOで悲願の世界ベルトを手にすることになった。 「長野さんは、ボクシングの技術的なことはもちろん、勝てとか、負けるなとか、結果についての話を一切されないんです。その過程で何を得るかを示してくれるんです。いつもジムにいて見守ってくれていて、精神的な気づきを教えてくれるマリア様のような人でした」 その後、村田氏は、米ラスベガスでロブ・ブラント(米国)に判定で敗れてベルトを失うが、またダイレクトリマッチで劇的な2回TKOで王座を奪還すると、長野さんから、こんな祝福のメールをもらったという。 「弾ける映画みたいだったわね」 戦後からの日本ボクシング界を見てきた生き字引である。 村田氏は、一度、長野さんにこんな問いかけをしたことがある。 「戦前、戦後の日本社会、そしてボクシンの歴史を長野さんは、半世紀以上にわたってずっと見てこられた。その見てきたことを何かの形で残すべきじゃないですか?」 すると長野さんは、笑ってこう返したという。 「村田さん、もう昔のことを覚えていないのよ」 もちろん驚くほど記憶は鮮明で90歳を超えても20歳は若く見えたが、長野さんが昔話をすることは少なかった。 「本当に表に出ることや目立つことが嫌いでしたよね。120%縁の下から、裏方の仕事に徹する人でした。長野さんが貫かれてきた姿に、女性として、いや人として学ぶべきことが多くありました。日本のボクシング界が進むべき道を長野さんが示してくれていたようにも感じます」 2002年に東京で開催されたWBC総会でスレイマン会長から特別表彰を受けたが、晴れの舞台で表彰されることを断り、元WBC世界スーパーライト級王者で、帝拳ジム代表の浜田剛史氏が代わりに表彰を受けた。
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