「帝拳ジムの母として多くの選手を育てボクシングと添い遂げた人生」元WBA世界ミドル級王者の村田諒太が語る99歳で逝去した長野ハルさんの偉大なる功績
帝拳の名物マネージャーだった長野ハルさんが老衰のため1月1日に亡くなっていたことを5日、同ジムが公式ホームページで発表した。99歳だった。長野さんは帝拳ジムの創成期から76年にわたって同ジムを支え、伝説のWBA世界フライ級王者の大場政夫氏ら多くの世界王者誕生をサポートしてきた。表に出ることを嫌い、裏方に徹した。元WBA世界ミドル級王者の村田諒太氏(38)は「帝拳ジムの母として多くの選手を育てられボクシングと添い遂げた人生」と故人の偉大なる功績を振り返り追悼した。 【映像】辰吉ジュニアの壮絶失神KO負けシーン
帝拳ジムを見守り続けた母のような存在だった。 昨年、足を怪我して一時、入院されていたという話を聞いていたが、最近は、帝拳主催の興行の受付やリングサイドに顔を見せることも少なくなっていた。昨年公開練習などでジムを訪れた際にも長野さんの姿はなかった。 本田明彦会長名でホームページに記された発表によると、病気療養中だった長野さんは、1月1日の20時40分に老衰により旅立たれたという。、 長野さんは、1946年の帝拳ジム創成期に事務員として入り、1952年にマネージャーライセンスを取得して以来、70年以上にわたってジムのボクサーの面倒を見てきた。学生時代に2代目の会長を継ぐことになった本田氏を支え、当時はジムの経営やマッチメイクにも携わった。作家の沢木耕太郎氏が、著書で描いたことで広く知られることになったが、天才ボクサー大場氏の素質を見極め、寮に住まわせ、私生活を指導し、苦しい減量を支え、同ジムの初代世界王者となるまでをサポートした。以降、帝拳ジムは、昨年10月にWBO世界ライトフライ級王者となった岩田翔吉まで、12人の日本人世界王者が生みだしたが、その陰には、いつもジムにいて母のように彼らを見守ってきた長野さんの存在があった。 数日前に悲しい知らせを聞いたという元WBA世界ミドル級王者の村田氏は、「小さな体の長野さんの体重が減ったと聞いて心配していたんです」とショックを隠せない様子だった。 「帝拳ジムの母として、多くの選手を育てられ、ボクシングと添い遂げた人生だったのではないでしょうか。謹んでお悔やみを申し上げます」 2012年のロンドン五輪ミドル級で金メダルを獲得した村田氏のプロ転向は、少しいびつな形だった。アマチュアボクシング界のドンだった当時の日本ボクシング連盟の山根明会長が、ぐちゃぐちゃにかき回し、加えてミドル級という大きな壁、金メダリストを預かるという責任感から、本田会長は当初プロ入りに反対して帝拳ジムへの入門を断っていた。その問題含みの村田氏の初練習の日に事件があった。間に入った人間の連絡のミスで、本田会長が練習を見るはずだった時間に、村田が現れず、いきなり練習初日をドタキャンする形になってしまったのだ。 あわてて村田氏はジムへ向かい、本田会長と長野さんに頭を下げた。 長野さんが本田会長に言ったという。 「自分が悪いわけじゃないのにちゃんと謝ることができる。いい子じゃない」 それから村田氏は何かと長野さんに目にかけてもらえるようになったという。
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