魔女はなぜとんがり帽子をかぶり、ほうきに乗り、大鍋でイモリの目玉をゆでるのか
とんがり帽子といぼ
魔女が黒を着るのは、夜や恐れを表す色だからだと、米ジョンズ・ホプキンス大学でイタリア研究の教授を務めるウォルター・スティーブンス氏は言う。しかし実際には、黒い服は一般的で、財布にやさしく、手に入りやすかったためともいえる。 大きなとんがり帽子の由来には諸説ある。スティーブンス氏は、異端者がかぶらされていた円錐形の帽子、または17世紀の清教徒の巡礼帽が原型ではないかと考えている。 1600年代に新たに誕生したクエーカー教徒も、広いつばの黒いとんがり帽子を日常的に愛用していた(クエーカー教徒は悪魔的な出来事や魔術に関わっていると、清教徒たちは考えていた)。さらに、中世の貴族女性もファッションとして長いとんがり帽子をかぶっていた。この流行は、後に地方にも広がっていった。 一部の歴史家は、中世イングランドのビール醸造を担っていたエールワイフと呼ばれる人々(自宅でエールビールを醸造し、家族で消費したり、販売したりしていた女性のこと。社会的には弱い立場にあった)が由来ではないかと考えている。女たちは、市場で目立つように、似たような帽子をかぶっていた。 なかには、反ユダヤ主義と結びつけた説もある。13世紀の中世ヨーロッパで、ユダヤ人はその身分がわかるように円錐形の帽子をかぶることを強要されていた。魔女の曲がった鉤鼻も、ユダヤ人に対する偏見に関係しているかもしれない。鉤鼻はユダヤ人の特徴として描かれることが多く、中世の様々な時代に、ユダヤ人は魔女と同じように迫害の対象となっていた。 では、魔女にはいぼがある、という概念はどこから来たのだろうか。一部の歴史家は、魔女の使い魔としての役割を持つ動物に魔女が特別な乳を与えるための乳首とされていたのではと考えている。
黒猫、クモ、カエル
近世の初期、魔術や超自然的なものを信じていたブリテン諸島やヨーロッパの人々は、凶作や家畜の病気といった悪いことが起こると、魔女の魔術のせいかもしれないと思い込み、魔女とされた人々に責任をなすりつけた。 15世紀初期から始まった魔術の告発と魔女狩りは、その後300年間続いた。17世紀になると、魔術に関する迷信はますます広がり、一般大衆も知識人も、悪魔とその手下たちが国中にはびこっていると信じていた。 1400年から1750年の間だけで、ヨーロッパとブリテン諸島で、5万~10万人の罪のない人々が魔女と認定され、火あぶりや絞首刑によって殺された。 悪魔と契約を交わした魔女には、あらゆる種類の魔法の力を持った動物の使い魔が与えられると、一般的に信じられていた。また、魔女仲間から使い魔を譲り受けることもあったし、仲間同士で1匹の使い魔を共有することもあった。現在、最もよく知られる魔女の使い魔は黒猫の形をとったものだが、そのほかにも、ヒキガエル、ネズミ、フクロウ、イヌ、鳥、ヤギ、さらにはクモ、ハエ、カタツムリの使い魔もいた。 それは、お互いにメリットのある契約だった。魔女は悪行を行うための仲間と助手を得ることができたし、動物たちはすむところを確保し、腹いっぱいの食べ物にありつけた。パンとミルクなど人間と同じものを食べる使い魔もいたが、ほとんどの使い魔は、魔女の指やほくろ、いぼから出る乳を飲んでいた。 なかでも、「第三の乳首」または副乳は、魔女が使い魔に乳を与えるためだけにあるとされ、16~17世紀のイングランドやスコットランドでは、これを持つ女性が魔女裁判にかけられると、本物の魔女であることを示す証拠とされた。(あるいは、ただ単に小動物がいたというだけで魔女認定されることもあった。)