【競泳】鈴木聡美の史上最年長での挑戦 ロンドン以来のメダルへ「とにかく全力 200%の力を出せるようにしたい」
競泳競技のオリンピック日本代表として史上最年長の33歳でパリ五輪に出場する鈴木聡美選手。2大会ぶり3回目の出場となりますが、今年3月の代表選考会では平泳ぎ100m、200m、非五輪種目の50mも含めて平泳ぎ3冠を達成する強さを見せつけての代表内定でした。 【画像】パリ選考会でホッとしたように笑顔をみせた池江璃花子選手 もっとも、この舞台に戻ってくるまでは長い道のりでした。 鈴木選手が一躍脚光を浴びたのは12年前、山梨学院大学4年時に出場した2012年ロンドン大会の時です。女子平泳ぎの100mで銅メダル、200mで銀メダル、そして女子400mメドレーリレーでは平泳ぎの第2泳者を務め、日本の3大会ぶりのメダル獲得(銅)に貢献。日本の競泳女子選手ではオリンピック史上初の1大会で3つのメダルを獲得したのです。大会後、東京・銀座で行われたメダリストパレードでは、1、2を争う人気選手として注目を集めました。
しかしその後「どこかに慢心があったのかもしれません」と鈴木選手が振り返るように、ケガやコンディション調整がうまく噛み合わない時期が続きます。2016年のリオ大会には100m平泳ぎで出場権を獲得しますが、本大会では準決勝落ち。次の東京大会は代表選考会で敗れ、出場権を逃すことになります。 3年前は年齢もちょうど30歳を迎える年。このまま競技を続けるかどうか悩むなか、山梨学院大学時代から指導を受ける同大監督の神田忠彦コーチ、トレーナーの方々に「体は問題ない。まだいけるよ。タイムが上がらないわけがない」と励まされ、現役続行を決めます。 もっとも、自分自身の泳ぎの型へのこだわりが強かったゆえ、長年、神田コーチが考える泳ぎとの間にギャップがありました。しかし、鈴木選手はここで心機一転、「変化なしに進化はない」という神田コーチの言葉を素直に受け入れ、より水泳に取り組むようになります。 その取り組みが結果に結びついたのは2023年に故郷・福岡で行われた世界水泳選手権でした。50m、100m平泳ぎに出場し、100mでは2009年以来、実に14年ぶりに自己ベストを更新し、決勝に進出。18歳の時に出した記録を32歳で超えることは、特にトップレベルの100m以上の種目では驚異的な偉業とも言えました。