「競技生活で沁みついた礼儀は忘れていない」元日本代表アスリートが歌舞伎町でホストになった意外な訳
パリ五輪の熱狂をよそに、夜の街は総合格闘技『RIZIN』の試合に夢中……。しかし、実は歌舞伎町には元強豪スポーツ選手が多く潜んでいる。 「まだ死ねないからここにいるの」歌舞伎町”交縁女子”の深い闇【写真】 とくにホストクラブで、スポーツ経験者はガッツがあるとされ、重宝される。なかでも類を見ない元トップアスリートホストと噂されるのが「トランポリン」の元日本代表選手である晴レルヤ晴希である。 「小学3年生の時、両親が買い物をしている間、スーパーの屋上のトランポリンで、ずーっと遊んでいたんです。親に『そんなに好きなら習い事にすれば?』と言われて競技を始めました」 習い始めて2年後には強豪クラブに移籍。幼稚園から始める選手も多いなか、幼少期ギリギリで競技人生をスタートした。晴レルヤ曰(いわ)く、始めた時期が幼少期とそれ以降では身体の柔軟さに大きく差が出るのだという。 「中学3年生の時には全国大会で優勝争いもできるようになりました。身体が小さく苦労しましたが、高校の全国大会ではシンクロトランポリンと個人の部で優勝。ジュニアオリンピックでも優勝しました。何回か日本代表として国際試合にも出させてもらって、高校時代が一番成績良かったんじゃないかな」 華々しい成績を収め、大学でも競技を続けた晴レルヤだったが、スポーツ界の厳しい現実に直面する。また競技への考えの違いから家族と対立。大学在学中は自室に電子レンジと冷蔵庫を置き、家庭内別居のような生活をしていた。 「思うように成績が伸びませんでした。選手としてスポンサーがつくほどの実力がない、食っていけないなと痛感したんですよね。 大学まで競技を続けるとコーチの仕事の誘いが来るから、トランポリンを続けながら指導者になる道もあった。でも、ただコーチをやってるだけじゃ、クラブを立ち上げるだけの資金は稼げない。 社会人選手の中にはバイトしてまで競技を続けてる人もいて、それくらいトランポリンをビジネスとして成り立たせるのって難しい。競技一筋で視野も狭かったし、世間知らずだったから、競技からも家族からも一度離れて、お金を稼がなきゃって思ったんです」 大学4年生の秋に競技を引退し、卒業後にホストに転身。トランポリン同様、トントン拍子で3年目には月2000万円を売り上げ、No.1ホストとなった。 「その時、久しぶりに家族の一人から連絡が来ました。たまたまSNSでNo.1になったのを知ったらしくて。『何事も一番になるのって大変じゃん。だからすごいと思って連絡したよ』って。そこから徐々にですけど、連絡を取れるようになりましたね」 生き馬の目を抜くホスト業界、競技で培われた経験が助けてくれたと語る。 「競技の世界だと自分と似たキャリアの人と狭く深く関わるけど、歌舞伎町は真逆。さまざまな考え方、とくにビジネス的な観点を学べるのが大きいです。 競技をやってた強みは……飲み会でバク転して盛り上げられます(笑)。あとは競技生活で沁みついた礼儀は忘れていない。また、勝負する世界にいたので、売り上げなどの数字をシビアに見る癖があります。ちゃんと自己顕示欲があるから、ただお金をもらえればいいわけじゃなくて、やっぱり上位になりたい。 もうしばらくはホストとして頑張りますけど、今もパリ五輪のトランポリン競技を観るのは楽しみですし、応援しています」 歌舞伎町の片隅でパリの地に思いを馳(は)せつつ、再びの飛躍を夢見ている。 『FRIDAY』2024年8月16日号より
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