思春期の「健全な反抗」と「危険な反抗」は別物…精神科医は荒れる子とどう向き合う?
大切な「生まれてきてありがとう」の気持ち
とても悲しいことなのですが、子どもの存在自体を否定するようなことを平気でいう親は少なくありません。本人は、子どもの教育のため、正しく成長するようにと思っているのかもしれません。 しかし、どんなに愛情のつもりであっても、子どものよくないところを指摘するのならまだしも、人格そのものを否定するようなことは絶対にしてはいけないことです。 たとえば、家族間で決めた門限が21時だったとします。その約束を子どもが破ったときに、「これはわが家のルールだから守りなさい」と注意をするのはいいのですが、「そんな簡単な約束が守れないやつはうちの子じゃありません」とか「ダメなヤツだ」などと、その子の全部に対してNOをつきつけるようないい方はいけません、といっているのです。 こんなことをいわれると、子どもは大きく自尊心を傷つけられ、いつも親の前でビクビクするようになってしまいます。親を信じられず、自分のこともきらいになってしまうのです。 【まとめ】子どもの人格を否定するようなことは、絶対にいってはいけません。
口ごたえだけの反抗か、暴力を伴う反抗か
思春期といえば、親や大人に対して反抗的な態度をとるのがひとつの特徴です。反抗とひと口にいっても、日常の口ごたえなど「普通の反抗」(いわゆる反抗期)と、暴力をふるったり、暴走したりするような「屈折した反抗」の2種類があります。 ・普通の反抗=愛情を確認しようとする作業 ・屈折した反抗=愛情を感じられなかった反動で起こす問題行動 子どもは「依存(甘え)」と「自立(反抗)」を繰り返して成長していきます。思春期ともなると、「自分のことは自分で考えて行動したい」「親のもとを離れて自由になりたい」という自立心が強くなります。 親に自分のことを話さなくなったり、「~しなさい」といったときに「うるせーな」などと反抗的態度をとるのは、自立しようとしている証拠なのですね。 しかし、子どもの心は「自立したい」と「甘えたい」を行ったり来たりしますから、自分1人でがんばっていると、そのうち不安の心がわいてきて、親に依存しようとします。 そのときに、うまく家族の愛情を確認できずに失望すれば、その程度によって問題行動を示すことになります。「屈折した反抗」とはこういうことをいうのです。別の表現をすると、反抗的な行動の裏側には、「これでもぼくのこと、わたしのことを愛してくれますか」という確認の気持ちがあるのですね。 それが屈折し、重症化したときに、不幸な事件を起こすことがあります。放火はそのひとつの典型です。放火は、人の関心を自分に集めたくてするのだといわれます。それが快感なんですね。爆音を響かせて、バイクを暴走させるのも、自分を見てほしいという欲求のあらわれです。 小学校1年生の女児を誘拐して殺害した38歳の男性は、法廷で「短い期間だったけれど、全国の人々に注目されていたことがうれしかった」と陳述したそうです。 若い人たちが起こす最近の悲惨な事件は、愛情が得られないことに絶望し、せめて人の関心を集めることをしなければいられないという人の行為といえるでしょう。ほとんど病的といっていいほど、みんな自分に関心をもってもらいたいと思っているのです。 親としては、どのくらいまでが普通の反抗なのか悩むところです。何しろ、愛情をたしかめたいということは、親から受け取る愛情が不十分だと思っていることですから。子どもがこんな態度をとったときは愛情不足や不安を感じていると見ていいでしょう。 ・汚い言葉を親に投げつける ・暴力的な行動に出る ・閉じこもって何もしゃべらなくなる 東京女子医科大学の小児科で非常勤講師をしているときに出会った拒食症の少女が、手記で「親を苦しめてやりたいから今こうしている」という趣旨のことを書いていました。 同じようなことは何人もの子どもで経験してきました。まるで親を苦しめることに快感を覚えているようでした。自分が求めている愛情を注いでくれないことをうらめしく思っているのですね。