引退・川口能活は将来“GK出身名監督無し説”を覆すことができるのか?
今シーズン限りで四半世紀に及ぶ現役生活に別れを告げることを表明していた、SC相模原の元日本代表GK川口能活(43)が14日、相模原市役所で引退記者会見を開いた。 ゴールキーパーとして歴代最多の国際Aマッチ116試合に出場。日本代表が悲願の初出場を果たした1998年のフランス大会から、4大会連続でワールドカップ代表に名前を連ねた「炎の守護神」は、今夏のワールドカップ・ロシア大会が引退を決意するきっかけになったと明かした。 「実はこの1年、2年ぐらいプレーを続けるか、引退するかの狭間で揺れていました。今年のワールドカップにおける日本代表をはじめ、各カテゴリーの日本代表のアジアでの戦いぶりを見て、僕が代表でプレーしていたときよりも上のレベルというか、世界で戦えるサッカーになってきているなと思いました。 そうした状況で選手としてではなく、違った形で日本サッカー界に貢献したいという思いが強くなり、引退する覚悟を決めました。体はすごく元気なので、完全燃焼したかといえばまだ余力はありますけど、常にピッチの内外でベストを尽くしてきてこの決断に至ったので、後悔はしていません」 詳細は未定だが、今後は指導者として第2のサッカー人生を歩んでいく。実は通算6チームにして最後の所属先となった相模原に移籍した2016年1月も、チームの始動日から遅れて合流している。指導者ライセンスを取得するための講習会に参加していたことが理由だった。 「自分はサッカーでここまで人生を歩んできたので、やはり現場で、指導者として自分の経験を伝えたい。サッカーは常に進化していますから、そのための勉強もこれからしていきたい」 川口は会見でこんな言葉を紡いだ。ならば、どのような指導者になっていくのか。 指導者の道を突き詰めていけばコーチをへて、おのずと監督に行き着く。キーパー出身の監督は、海外ではユーロ2000でイタリアを準優勝に導いたディノ・ゾフが有名だが、クラブレベルではユベントス、ラツィオ、フィオレンティーナを率いながらセリエA制覇には手が届いていない。 ブラジル代表として4度のワールドカップに出場したエメルソン・レオンは、清水エスパルスやヴェルディ川崎、ヴィッセル神戸で監督を務め、2000年には母国の代表監督に就くも翌年のコンフェデレーションズカップで4位に終わったことで解任された。 日本人では1968年のメキシコ五輪の銅メダリスト、横山謙三氏が1988年に日本代表監督に就任。もっとも、プロ化および世代交代への端境期にあったチームを建て直すことはできず、ファンから痛烈な批判を浴びたなかで、1992年4月にはオランダ人のハンス・オフト監督が招へいされる。 1994年には浦和レッズの監督に就任するも、年間総合順位で最下位に終わって1年限りで退任している。 他のポジションに比べて、海外を含めてキーパー出身監督の事例が少ないうえに、日本国内では成功が収められているとは現時点で言い難い。だが、日本人のゴールキーパーとして初めて海外へ移籍するなど、濃密なサッカー人生を歩んできた川口の経験値の高さは飛び抜けている。 輝かしい実績だけでなく苦労を知る人だからこそ、これまでの常識を覆す「監督・川口」への期待が高まる。