引退・川口能活は将来“GK出身名監督無し説”を覆すことができるのか?
国内では横浜F・マリノスとジュビロ磐田のJ1に加えて、J2のFC岐阜、そしてJ3の相模原とすべてのカテゴリーを経験。ジュビロと岐阜では事実上の戦力外を通告された。 40歳で相模原の一員となってからは、誰にでも必ず忍び寄る体の衰えとも真正面から向き合ってきた。 「若いときはどれだけ自分を追い込んでも勝手に回復してくれた。あまり言いたくはないことですけど、年も年なので無理はできない。とは言っても、ある程度は追い込まないとコンディションも上がってこないので、そこのさじ加減は気にするようにはなりました」 こう語っていたのは、相模原に移籍して3年目にして、初めて開幕戦の先発を勝ち取った今年3月9日のY.S.C.C横浜戦後だった。その後はルーキーの田中雄大(桐蔭横浜大学卒)にポジションを奪われ、現時点では5試合の出場に甘んじている。それでも、酸いも甘いも知り尽くしたサッカー人生はかけがえのない財産となり、経験に厚みをもたらしながら、あらゆる状況への対応力として生きていくはずだ。 川口の引退会見を受けて、16日のベネズエラ代表戦(大分スポーツ公園総合競技場)へ向けて、大分市内で合宿を行っている日本代表のGK権田修一(29)はこんな言葉を残している。 「日本人のキーパーが世界的に見てまだまだストロングではないなかで、高さがあるわけではないのに世界と戦えた人なので、日本人らしさであるとか、日本人でも世界に通用すると伝えていってくれるはず。能活さんがどういう選手を育てるのか楽しみだし、興味があります」 さまざまなシュートを受けてきたなかで、2006年のワールドカップ・ドイツ大会で対峙したブラジル代表のジュニーニョ・ペルナンブカーノに許した、無回転のまま軌道を変えた強烈な一撃を「いまでも鮮明に覚えている」と苦笑いとともに川口は会見で振り返った。 衝撃的な逆転弾はジーコジャパンを呆然とさせ、最終的には1―4で大敗。グループリーグ敗退を余儀なくされたブラジル戦が、川口にとっての最後のワールドカップとなっている。通算6試合に出場して1分け5敗。日本の勝ち点獲得に貢献できなかった心残りを、指導者として日本を代表するキーパーを育てていく夢に変える。 「ピンチで失点するとチーム全体がガクッとなる。逆に防ぐことで試合の流れを引き寄せられるし、その後の味方の得点にもつながる。そこはキーパーの醍醐味というか、自分自身の真骨頂なので」 180cm、77kgと決して大きくはない体に力強く脈打たせ、日本サッカー史に残るレジェンドへと昇華させた「哲学」を、川口はこんな言葉で説明してくれたことがある。魂のバトンを次世代へ伝授していく。引退セレモニーが行われるラストマッチは、来月2日の鹿児島ユナイテッド戦だ。 (文責・藤江直人/スポーツライター)