手ごわい論敵だが「心優しい気遣いの人でもあった」野田元首相の安倍元首相追悼演説(全文)
野田佳彦元首相は25日、衆議院本会議で安倍晋三元首相の追悼演説を行った。 ◇ ◇ 【動画】野田元首相が安倍元首相へ追悼演説
暴挙に対して激しい憤りを禁じ得ない
野田:本院議員、安倍晋三元内閣総理大臣は、去る7月8日、参院選候補者の応援に訪れた奈良県内で、演説中に背後から銃撃されました。搬送先の病院で全力の救命措置が施され、日本中の回復を願う痛切な祈りもむなしく、あなたは不帰の客となられました。享年67歳。あまりにも突然の悲劇でした。政治家としてやり残した仕事、次の世代への伝えたかった思い、そして、いつか引退後に昭恵夫人とともに過ごすはずであった穏やかな日々、全ては一瞬にして奪われました。 政治家の握るマイクは単なる言葉を通す道具ではありません。人々の暮らしや命が懸かっています。マイクを握り、日本の未来について前を向いて訴えているときに後ろから襲われた無念さはいかばかりであったか。あらためて、この暴挙に対して激しい憤りを禁じ得ません。 私は生前のあなたと、政治的な立場を同じくするものではありませんでした。しかしながら、私は前任者としてあなたに内閣総理大臣のバトンを渡した当人であります。 わが国の憲政史には101代、64名の内閣総理大臣が名を連ねます。先人たちが味わってきた重圧と孤独を我が身に体したことのある1人としてあなたの非業の死を悼み、哀悼の誠をささげたい。そうした一念のもとに、ここに皆さまのご賛同を得て、議員一同を代表し、謹んで追悼の言葉を申し述べます。
あなたの周りを取り囲むひときわ大きな人垣
安倍晋三さん、あなたは昭和29年9月、のちに外務大臣などを歴任された安倍晋太郎氏、洋子さまご夫妻の次男として東京都に生まれました。父方の祖父は衆議院議員、母方の祖父と大叔父はのちの内閣総理大臣という政治家一族です。幼いころから身近に政治があるという環境の下、公のために身を尽くす覚悟と気概を学んでこられたに違いありません。成蹊大学法学部政治学科を卒業され、いったんは神戸製鋼所に勤務したあと、外務大臣に就任していた父君の秘書官を務めながら、政治への志を確かなものとされていきました。 そして、父、晋太郎氏の急逝後、平成5年、当時の山口1区から衆議院選挙に出馬し、見事に初陣を飾られました。38歳の青年政治家の誕生であります。私も同期当選です。初登院の日、国会議事堂の正面玄関にはあなたの周りを取り囲むひときわ大きな人垣ができていたのを鮮明に覚えています。そこにはフラッシュの閃光を浴びながら、インタビューに答えるあなたの姿がありました。私にはその輝きはただまぶしく見えるばかりでした。 その後のあなたが政治家としての階段を瞬く間に駆け上がっていったのは周知のごとくであります。内閣官房副長官として北朝鮮による拉致問題の解決に向けて力を尽くされ、自由民主党幹事長、内閣官房長官といった要職を若くして歴任したのち、あなたは平成18年9月、第90代の内閣総理大臣に就任されました。戦後生まれで初、よわい52、最年少でした。 大きな期待を受けて船出した第1次安倍政権でしたが、翌年9月あなたは激務が続く中で持病を悪化させ、1年あまりで退陣を余儀なくされました。順風満帆の政治家人生を歩んでいたあなたにとっては、初めての大きな挫折でした。もう二度と政治的に立ち上がれないのではないかと思い詰めた日々が続いたことでしょう。 しかし、あなたはそこで心折れ、諦めてしまうことはありませんでした。最愛の昭恵夫人に支えられて体調の回復に努め、思いを寄せる雨天の友たちや、地元の皆さまの温かいご支援にも助けられながら反省点を日々ノートに書き留め、捲土重来をします。挫折から学ぶ力と、どん底から這い上がっていく執念で、あなたは人間として、政治家として、より大きく成長を遂げていくのであります。