手ごわい論敵だが「心優しい気遣いの人でもあった」野田元首相の安倍元首相追悼演説(全文)
人との距離感を縮める天性の才があった
私からバトンを引き継いだあなたは、7年8カ月あまり内閣総理大臣の職責を果たし続けました。あなたの仕事がどれだけの激務であったか、私にはよく分かります。分刻みのスケジュール、海外出張の高速移動と時差で疲労は蓄積。その毎日は、政治責任を伴う果てなき決断の連続です。容赦ない批判の言葉のやいばを投げつけられます。在任中、真の意味で心休まるときなどなかったはずです。 第1次政権から数え、通算在職日数3188日。延べ196の国や地域を訪れ、こなした首脳会談は1187回。最高責任者としての重圧と孤独に耐えながら、日本一のハードワークを誰よりも長く続けたあなたに、ただただ心からの敬意を表します。 首脳外交の主役として特筆すべきは、あなたがまったくタイプの異なる2人の米国大統領と親密な関係を取り結んだことです。理知的なバラク・オバマ大統領を巧みに説得して広島にいざない、被爆者との対話を実現に導く。片や、強烈な個性を放つドナルド・トランプ大統領の懐に飛び込んで、ファーストネームで呼び合う関係を築いてしまう。あなたに日米同盟こそ日本外交の基軸であるという確信がなければ、こうした信頼関係は生まれなかったでしょう。ただ、それだけではなかった。あなたには、人と人との距離感を縮める天性の才があったことは間違いありません。
一度だけ総理公邸の一室でひそかにお会いした
安倍さん、あなたが後任の内閣総理大臣となってから、一度だけ総理公邸の一室でひそかにお会いしたことがありましたね。平成29年1月20日、通常国会が召集され、政府四演説が行われた夜でした。前年に天皇陛下の象徴としてのお務めについてお言葉が発せられ、あなたは野党との距離感を推し量ろうとされていたのでしょう。2人きりで陛下の生前退位に向けた環境整備について1時間余り語らいました。お互いの立場は大きく異なりましたが、腹を割ったざっくばらんな議論は次第に真剣な熱を帯びました。そして、政争の具にしてはならない、国論を二分することのないよう立法府の総意をつくるべきだという点で意見が一致したのです。国論が大きく分かれる重要課題は、政府だけで決め切るのではなく、国会で各党が関与した形で協議を進める。それは、皇室典範特例法へと大きく流れが変わる潮目でした。 私が目の前で対峙した安倍晋三という政治家は、確固たる主義主張を持ちながらも、合意して前に進めていくためであれば、大きな構えで物事を捉え、飲み込むべきことは飲み込む冷静沈着なリアリストとして柔軟な一面を併せ持っておられました。あなたとなら、国を背負った経験を持つ者同士、天下国家のありようを腹蔵なく論じ合っていけるのではないか、立場の違いを乗り越え、どこかに一致点を見いだせるのではないか。以来、私はそうした期待をずっと胸に秘めてきました。 憲政の神様、尾崎咢堂は、当選同期で長年の盟友であった犬養木堂を五・一五事件の凶弾で失いました。失意の中で、自らを鼓舞するかのような天啓を受け、かの名言を残しました。人生の本舞台は常に将来に向けて在り。 安倍さん、あなたの政治人生の本舞台は、まだまだこれから先の将来にあったはずではなかったのですか。再びこの議場で、あなたと言葉と言葉、魂と魂をぶつけ合い、火花散るような真剣勝負を戦いたかった。勝ちっぱなしはないでしょう、安倍さん。耐え難き寂寞の念だけが胸を締め付けます。この寂しさは、決して私だけのものではないはずです。どんなに政治的な立場や考えが違っていても、この時代を生きた日本人の心の中に、あなたの在りし日の存在感が、今、大きな空隙となってとどまり続けています。