手ごわい論敵だが「心優しい気遣いの人でもあった」野田元首相の安倍元首相追悼演説(全文)
何度でもやり直せる社会を自ら実践
かつて、再チャレンジという言葉で、たとえ失敗しても何度でもやり直せる社会を提唱したあなたは、その言葉を自ら実践してみせました。ここにあなたの政治家としての真骨頂があったのではないでしょうか。あなたは諦めない、失敗を恐れないということを説得力持って語れる政治家でした。若い人たちに伝えたいことがいっぱいあったはずです。その機会が奪われたことは誠に残念でなりません。 5年の雌伏を経て、平成24年、再び自民党総裁に選ばれたあなたは、当時内閣総理大臣の職にあった私と以降、国会で対峙することとなります。最も鮮烈な印象を残すのは平成24年11月14日の党首討論でした。私は、議員定数と議員歳費の削減を条件に衆議院の解散期日を明言しました。あなたの少し驚いたような表情、その後の丁々発止、それら一瞬一瞬を決して忘れることができません。それらは与党と野党第一党の党首同士が互いの持てる全てを懸けた火花散らす真剣勝負であったからです。 安倍さん、あなたはいつの時も手ごわい論敵でした。いや、私にとっては敵のような政敵でした。攻守を替えて、第96代内閣総理大臣に返り咲いたあなたとの主戦場は、本会議場や予算委員会の第1委員室でした。少しでも隙を見せれば容赦なく切りつけられる張りつめた緊張感、激しくぶつかり合う言葉と言葉、それは1対1の果たし合いの場でした。激論を交わした場面の数々がただ懐かしく思い起こされます。残念ながら、再戦を挑むべき相手はもうこの議場には現れません。
人生の悲哀を味わい、どん底の惨めさを知り尽くせばこそ
安倍さん、あなたは議場では戦う政治家でしたが、国会を離れ、ひとたびかぶとを脱ぐと、心優しい気遣いの人でもありました。それは忘れもしない平成24年12月26日のことです。解散総選挙に敗れ、敗軍の将となった私は、皇居であなたの親任式に前総理として立ち会いました。同じ党内での引き継ぎであれば談笑が絶えないであろう控室は、勝者と敗者の2人だけが同室となる、しーんと静まりかえって気まずい沈黙だけが支配します。その重苦しい雰囲気を最初に変えようとしたのは安倍さんのほうでした。あなたは私のすぐ隣に歩み寄り、お疲れさまでしたと明るい声で話し掛けてこられたのです。 野田さんは安定感がありましたよ。あのねじれ国会でよく頑張り抜きましたね。自分は5年で返り咲きました。あなたにもいずれそういう日がやってきますよ。温かい言葉を次々と口にしながら、総選挙の敗北に打ちのめされたままの私をひたすらに慰め、励まそうとしてくれるのです。その場はあたかも傷ついた人を癒やすカウンセリングルームのようでした。残念ながら、そのときの私にはあなたの優しさを素直に受け止める心の余裕はありませんでした。でも、今なら分かる気がします、安倍さんのあのときの優しさがどこから注ぎ込まれてきたのかを。 第1次政権の終わりに、失意の中で、あなたは入院先の慶應病院から傷ついた心と体にまさにむち打って、福田康夫新総理の親任式に駆けつけました。わずか1年で辞任を余儀なくされたことは誇り高い政治家にとって耐えがたい屈辱であったはずです。あなたもまた、絶望に沈む心で控室での苦しい待ち時間を過ごした経験があったのですね。あなたの再チャレンジの力強さと、それを包む優しさは、思うに任せぬ人生の悲哀を味わい、どん底の惨めさを知り尽くせばこそであったのだと思うのです。 安倍さん、あなたには謝らなければならないことがあります。それは平成24年暮れの選挙戦、私が大阪の寝屋川で遊説をしていた際の出来事です。総理大臣たるには胆力が必要だ。途中でおなかが痛くなっては駄目だ。私はあろうことか、こうした気持ちの勢いに任せるがまま、聴衆の前でそんな言葉を口走ってしまいました。他人の身体的な特徴や病を抱えている苦しさを揶揄することは許されません。語るも恥ずかしい大失言です。謝罪の機会を持てぬまま時が過ぎていったのは、永遠の後悔です。今あらためて、天上のあなたに深く、深くおわびを申し上げます。