京都発「履物関づか」が壊れかけの産業に新風 「マメ」や「アーツ&サイエンス」と協業するまで
WWD:材料の調達も難しそうだ。
関塚:僕は職人でもあり販売店でもあり、材料調達をして職人に渡す問屋業的なことまで行っている。コロナ前に浅草の問屋に行ったときのこと。店番をしているおばあちゃんにいきなり「NO」と言われた。外国人と間違えられたのかよくわからないが、その後訪れた2軒の問屋でも同じようにあしらわれた。大きなところに行くと、話は聞いてはくれたが、新しく履物を作る人がいるなんてありえないと思っているようだった。その時に100万円分くらいの注文をしたが、信用がなかったので今現金で払ってくれと言われ、その場で銀行に行ったりして支払った。今ではその問屋から僕が一番買っている。
和装に合わせる履物としてのモノ作りはしない
WWD:そもそもオワコンに近い履物で自分のブランドを始めるのはなかなかの覚悟が必要だったのでは。
関塚:斜陽産業でも始めたのは、僕は和装に合わせる履物としてのモノ作りをしていないから。履物は着物の付属品として作られてきており、着物にまつわる技術のように賞やランクがあるわけでもないし、人間国宝もいない。だからこそチャンスしかないと思った。壊れてしまった場所(産業)だからこそ土壌を整えてしっかりした提案を持って発信すれば絶対に見てくれる人がいると思った。
WWD:1年間の生産量は。
関塚:オーダーメイドは300足程度。既製品は多い年で800~1000足。いずれも僕が工房で鼻緒を挿げている。
一緒に仕事をしたい人に向けて製品を作り虎視眈々と狙う
WWD:「マメ クロゴウチ」「アーツ&サイエンス」など人気のブランドや店との協業はどのように生まれた?
関塚:僕は「マメ クロゴウチ」「アーツ&サイエンス」と仕事すると勝手に決めていて、そのための製品作りをして虎視眈々と狙っていた。「マメ」には僕の履物を履いて完成する服がたくさんあったから。ストーカーみたいだけど同じ時代にモノ作りをしていることが運命だと思った(笑)。近い感性を持っていると感じたというか。和の要素を編集した洋服はたくさんあるがいいと思えるモノが少なかった。アプローチは同じでも受け手が「いい」と思えるものを作るには繊細な編集が必要で、例えるなら針の穴に糸を通すようなもの。「マメ」は和の要素をモノに落とし込む方法が近いと感じた。(デザイナーの)黒河内さんが来たらこれを履かせようと思いながら作り、実際に来てくれたときにその製品を提案するとその日にオーダーしてくれた。次の日には「パリコレで採用したいから明日社員5人と行きます」と連絡が来た。