中畑清氏 「鍛錬の場」なかったロッテ・朗希 米でやれるのか心配
【キヨシスタイル!】「聖地」に足を踏み入れるとさすがに身が引き締まる。10日、多摩川グラウンドに行った。球団創設90周年を記念して巨人と巨人OB会が東京都大田区とコラボしたイベント。定岡正二、角盈男、鹿取義隆、篠塚和典、村田真一といった昔の仲間が集まってさ。 午前中はかつてのA球場で300人の小学生を相手に野球教室。午後は近くの田園調布せせらぎ館でトークショーを開いた。定員120人のところ1000人以上の応募があったって。昔話で大いに盛り上がったよ。入団してすぐ1軍で使われた角や鹿取にとっては「調整の場」だったけど、なかなか1軍に上がれなかった私や定岡、篠塚にとっては「鍛錬の場」。毎日泥まみれになってさ。厳しく鍛えてもらったおかげでいっぱしの選手になれた。 巨人が多摩川グラウンドを建設省(現国土交通省)から借りたのは1955年。10年後の65年から不滅のV9時代がスタートする。河川敷。大きな台風が来るたびに冠水してさ。コイがはねたり、ヘドロに覆われることもあった。それでも巨人の聖地。私にとってはプロ野球選手としての原点でもある。 85年にジャイアンツ球場ができてからもしばらく併用し、98年3月に返還。「さよなら多摩川」のセレモニーが行われ、川上哲治さん、千葉茂さん、藤田元司さんがマウンドのプレートを外して歴史に幕を閉じた。多摩川名物のおでん店「グランド小池商店」にはときどきお邪魔しているが、グラウンドに立ったのはそれ以来かもしれない。 長嶋監督の下で打撃コーチを務めた93年からの2年間、横浜や神宮で試合があるときは、入団したばかりの松井秀喜を多摩川の雨天練習場に連れていってさ。1時間ほど打たせてから球場入りした。 そんなことを思い出していて、ふと思った。ポスティングシステムによる大リーグ行きが認められた佐々木朗希の「鍛錬の場」はどこにあったんだろう。大事に大事に育てられてさ。同じ東北出身でも私と違ってナイーブな性格。応援してるから、気になるんだよね。よりタフさが求められるメジャーでやっていけるのかってね。結果が全ての世界。15勝、20勝して、杞憂(きゆう)に終わってよかったと思わせてほしいな。(本紙評論家・中畑 清)