「日本は女性医薬の審査がなかなか通らない」 なぜ経口中絶薬は日本で35年も遅れたのか #性のギモン
取材を進める過程で、今回のラインファーマの承認申請より前に、少なくとも2回、市場化を検討していた時期があることがわかった。開発直後の1989年頃と2010年頃だ。 1989年には、「日本ルセル(現サノフィ)」がミフェプリストンの国内での開発を検討したことがあったという。当時、日本ルセルに勤めていた元社員にメールを通じて取材した。その回答によれば、経口中絶薬の開発計画はあったが、中絶に反対する運動など「社会的要因」により計画は立ち消えになったという。その「社会的要因」についても詳しい説明を求めたが、「女性団体などによる反対」という回答だけにとどめ、詳述は拒んだ。 2010年頃の動きの鍵を握るのが、ミフェプリストンの開発者であるアンドレ・ウルマン博士だ。ウルマン博士は日本への導入の可能性について、日本の医療者に接触してはヒアリングを行っていた。だが、「日本の製薬企業は関心が薄く、導入は全然うまくいかなかった」という。 そう証言したのは、アンドレ・ウルマン博士の娘、マリオン・ウルマン氏だ。彼女は今年3月までラインファーマの役員を務めていた。5月、カナダ在住のマリオン氏にオンラインで話を聞いた。 マリオン氏もその後は父同様、日本で何十社にも協力を呼びかけたが挫折続きだったと振り返る。 「中絶に対して人々の受け止め方は複雑です。ですから、まずは製薬企業自体が『この薬が女性たちに必要なんだ』と関心を持たないと始まらない。さらに治験を組み上げるには、日本の産科医たちにも粘り強く働きかけて協力を取り付けなければなりません。でも、市場も小さいうえ、莫大な治験コストをかけてまで熱心に取り組もうとする製薬企業は現れませんでした」
マリオン氏は、日本の関係各所にあたるなかで、女性が使う薬への理解が日本社会にないことに気づいた。その社会の空気感も欧米の製薬企業を遠ざけたのではと指摘する。 「日本では女性医薬の審査はなかなか通らないと、欧米の製薬業界みんなが思ってますよ。父は日本に緊急避妊薬も導入しているのですが、承認されたのが1999年。それまでに11年かかっているのです。少なくとも私は、父が経営していた別の会社が緊急避妊薬の認可を得るまでは、日本に中絶薬を導入するのは難しいだろうなと思っていたんです。避妊薬の導入が終わったら中絶薬へと、一つひとつ進めなければならなかったわけです」