「日本は女性医薬の審査がなかなか通らない」 なぜ経口中絶薬は日本で35年も遅れたのか #性のギモン
当時、監視指導・麻薬対策課の課長補佐だった光岡俊成氏は「あの頃は個人輸入が広がっており、ちまたに流布する薬から問題のありそうなケースについては、我々薬剤師の資格を持つ担当官がネットを含めあらゆるルートから監視していました」。また、同課の課長だった南野肇氏は、「少なくとも、他部署や外部からの働きかけがあって特別対応したという記憶はないですね」と述べた。2004年の通逹は、「日常の業務の一環」で出されたもので、中絶に反対する勢力や団体などの影響で警告を発したわけではないということだった。
個人輸入の動きまであるのに、なぜ正規で薬を届ける動きが出なかったのか。日本家族計画協会市谷クリニック所長の北村邦夫氏は、こう指摘する。 「安全だけれど、不正に使うのが問題だったわけです。個人輸入の動きが出た時に製薬会社から中絶薬の申請が出されて、なおかつ専門家集団が推していれば、認可のスピードを早めることもできたはずですよね。だって、男性薬のバイアグラ(勃起不全治療薬)では『個人輸入は危ない』と指摘されて、申請から半年ほどで認可が下りたんですから」 1990年代後半から2000年代前半にかけては、中絶の総数は減っているのに対し、年代別でみると、20歳未満の中絶率が増え続け、10%を超えていた。少なくとも需要があり、ネットで探す人たちもいた。 日本でも何度か市場化の動きはあった。
「日本の社会は女性が使う薬に理解がない」
メフィーゴパックの治験責任医師を務めた東京大学病院産婦人科教授・大須賀穣氏は、20年ぐらい前から導入したいと考えていたと語った。 「日本に中絶薬が導入されてもよいのではないか、一日も早く導入できないかと。海外では世界標準と考えられているにもかかわらず、日本でそれを選択して使えないということに、非常に矛盾を感じていたわけです」 まず10年、20年前までは、「経口中絶薬」という言葉そのものに、多くの産婦人科医から抵抗があったと大須賀氏は言う。 「私が開発に関わるということを周囲の教授や一般の医師たちに話した時に、『なぜ権威のある立場の人が中絶薬の開発に加わるのか、本当に加わっていいのか』と。少し懐疑的な目で見られたこともあります」