大手が撤退した国産アーチェリーを復活 町工場2代目が磨く「小さな会社だからこそ」の強み
金属加工を手がける西川精機製作所(東京都江戸川区)は、主に工場で使う治具(部品の位置決めなどに使う補助工具)をつくってきました。2代目の西川喜久さん(58)はリーマン・ショックを機に、自社製品の開発に注力。「小さな会社だからこそ」の強みを生かして、大手が撤退した国産のアーチェリーハンドル製造を復活させ、メディアなどで話題を呼びました。障害者をサポートするボウリング投球機や、交通弱者の解消を目指した超小型燃料電池モビリティーなど、社会課題の解決につながる機械の開発に挑み、治具製造から完成品メーカーへの脱皮を進めています。 【写真特集】下請けだけじゃない 中小企業の技術がつまった独自製品
設計から組み立てまで一気通貫
西川精機製作所は1960年、西川さんの父・冨男さんが創業しました。従業員8人の小さな町工場ですが、設計、板金加工、切削加工、溶接、組み立てまで一気通貫で行えるのが強みです。 最近は治具だけではなく、金属加工のノウハウと設計スキルを生かし、省力化機械の設計・製造の受注も増えました。漠然とした依頼でも一から設計して作ることが可能で、主な取引先は上場企業の精密部品メーカーや、大学などに広がっています。 「保有する生産設備は多岐にわたります。欲しい機能、おおよその大きさ、ポンチ絵程度の内容でも、一から考えて設計し、必要なパーツがあれば調達して組み立てることも可能です」
父の病気で大学卒業後に家業へ
小学生のころから家業を手伝っていた西川さん。最初は組み立てから始め、中学生になると機械を操作して金属加工も手がけました。それでも「家業には全く魅力を感じず、歴史の研究がしたくて大学は文系学部に進むつもりでした」。 しかし、父親に押し切られるかたちで、日本大学農獣医学部(現・生物資源科学部)農業工学科で機械加工や金属工学を学びました。大学2年生のころには家業の取引先から内定をもらいました。 ところが大学3年生の時、父親が病気で倒れます。幸い一命は取り留めましたが、西川さんは1988年、卒業と同時に家業を手伝うことになりました。 「『2、3年修業して家業に戻れ』という取引先の親心のような内定でしたが、そういう場合ではなくなり内定が取り消されました。『取引は継続するから卒業したら後を継ぎなさい』と諭されたようなものです」