大手が撤退した国産アーチェリーを復活 町工場2代目が磨く「小さな会社だからこそ」の強み
父が病床で残したメモ
西川さんは旋盤やフライス盤が扱える技能を持ち、ある程度仕事はできる状態でした。それでも最初は先輩について溶接を覚え、設計も自ら学びました。 父から教えられたのは、営業に行くことです。「後継者になることを真剣に考えてほしい」という旨のメモ書きも渡されました。すでに健康状態が思わしくなかった父は、病院から渡された書類の裏に書いて渡すのが精いっぱいでした。 「父は『現場にいるだけではなく外に出なさい。営業は必要だ』と言いたかったのです」 父親は1999年に亡くなり、西川さんは社長に就任しました。
リーマン・ショックで自社製品開発
社長就任後、西川さんは二つのアクションを起こします。 一つ目は板金加工への進出です。板金加工は切削より複雑な形状の加工が可能で、溶接が不要になるため、作業工数を削減できるといいます。2008年からレーザー加工機やレーザー溶接機といった設備を導入しました。 もう一つが自社製品の開発です。 父もかつて、手品用品やシガレットケースなどを作りましたが、売れ残っては廃棄していました。「父は『自社製品を持たないとものづくりの会社の意味はない』と言っていましたが、出すものがどれも二番煎じ、三番煎じで、失敗を重ねました」 そんな折、リーマン・ショックに襲われます。それまで売り上げのほぼすべてが治具でしたが、新たな柱を育てるべく、自社製品の開発に乗り出します。
最初の開発はボウリング投球機
最初に開発したのは、車いすに装着して使うボウリング投球機です。理学療法士、車いす設計者と開発しました。 開発は、車いす利用者の話を聞いたことがきっかけでした。 「床に置いたシューターに球をセットし、後ろから押して落としてボウリングをするそうです。しかし、これでは球の力加減や方向を自分で決められません。車いすに取り付け、健常者のように球を投げられる機械をつくろうと考えました」 西川精機製作所は一気通貫のものづくり体制によって、検証から得られた結果をすぐ試作に反映できるという強みがありました。投球機は2017年のキッズデザイン賞を受賞。これまで神奈川県の療育センターなどに販売や貸し出しの実績があります。