「かわいがっていた部下」からのパワハラ告発で出世の階段から転落した会社員男性が「復讐に選んだ方法」
「復讐」のための転職も難航
役職を解かれ、人事部付の平社員となってから半年ほど経った頃、浜中さんは意気消沈した弱々しい表情で、「ただ窓際で時間が過ぎるのを待つだけの日々を送っている」と漏らした。 ところがさらに数か月過ぎ、59歳の誕生日を迎えてしばらくした時のインタビューで突然、「この無念のままでは会社員人生を終われない。出世の道から蹴落とした奴らを見返してやりたい。つまり復讐です」と語り、顔を紅潮させて怒りを吐き出した。過激な言葉遣いに正直、驚いた。そして、「復讐」方法として彼が選んだのが、転職だった。 転職エージェント数社に登録したほか、これまで仕事で出会った人脈や大学時代の友人など、さまざまなネットワークを駆使して、仕事探しを始めたのだ。 定年退職を待たずとも、即転職したい意向だったが、転職活動は難航した。 「全く、私をバカにしている。一流企業で事業本部長まで務めた人間ですよ! 賃金など待遇やポジション、職務内容を落とすことは到底、できませんよ。やりとりすればするほど、腹が立ってきて前に進みません」 転職活動の状況を尋ねると、毎度、登録している転職エージェントのカウンセラーらへの愚痴を繰り返す。これまでのキャリアの棚卸しなど、カウンセラーから出された課題に応じることもなく、自身が求める条件に合わない仕事を勧められることが我慢ならないようだった。
「自分の会社員人生を否定するようで……」
2021年、転職活動を始めてから約8か月後、浜中さんは転職先が見つからないまま、定年退職を迎える。退職から数か月過ぎた頃のインタビューでは、「仕事もせず、趣味などで外出することもなく、ただ家の中で過ごす時間が、定年前の『窓際』出社を思い返してしまい、つらい……」と、いつになく弱気な気持ちを漏らした。 少しずつ外出するようにもなった暮らしの変化を話してくれるようになったのは、さらに数か月ほど過ぎた22年のことだった。 「独身で同居する20代後半と30過ぎの息子2人が出勤する前に自宅を出て、近所の人たちに会わないように電車で30分から1時間ほどの距離の離れた公立図書館をはしごするような毎日です。どこの図書館にも、決まって私と似た境遇とみられる男性がいるもんですね。たまに読みたい新聞が重なって取り合ったり、譲り合ったり……。もちろん、会話を交わすことも、友達になることもありませんが……出掛けることで、ほんの少し気持ちが楽になったような気がしています」 話し始めは少し強張(こわば)った面持ちだったが、終盤では穏やかな表情になっていた。 そうして、23年末、事業本部長を退いてから四年余りを経て、ようやく定年から今に至る思いを語ってくれた。 「部下からの予想だにしなかったパワハラの訴えで、執行役員も子会社社長の道も閉ざされ、会社員生活の最後でどん底を経験しましたが……今振り返ると、時代の変化を受け入れようとしなかった自分がいけなかった。脇が甘かったのですね。そして、その段に至っても、事業本部長まで務めたんだから、きっと良い転職先がある、転職で『見返してやる』などと高をくくっていた。本当にバカですね……そんな調子のいいことなどないのに……」 「なぜ、スムーズに転職先が見つからなかったのだと思いますか?」浜中さんの心情に配慮し、控えてきた質問だったが、落ち着きを取り戻して振り返る様子を見て、今なら大丈夫ではないか、と判断した。 「…………」束の間、沈黙が訪れる。ただ、ネガティブなそれではなく、自身の気持ちをうまく言語化するためのものだったように思う。 「そうですね。大学を卒業してから定年までひとつの会社に勤めてきて、社内でしか通用しない『根回し』など職場の文化が染みついてしまっていた。当然ながら、上位の管理職経験だけではものにならないし……平社員に戻った定年直前の転職活動スタートではアピールする点がなかったと思いますね。もっと早く気づいて、準備しておくべきだったんでしょうが……。それと、そのー……転職先でのポジション、賃金など待遇に関する条件を下げられなかったことも、転職に失敗した要因でしょうね」 「どうして、条件を下げられなかったのでしょうか?」酷な問いだったが、聞いておかねばならない。 「頑固なこだわり、プライドとも言えるかもしれませんが……条件を下げると、定年まで懸命に働いてきた自分の会社員人生を否定するようで……。でもまた働きたければ、そうせざるを得ないということは少しずつ理解できるようになってきたのですが……」 24年に63歳の誕生日を迎えるのを前に、今改めて働く意味について考えているという。 「今のところ、預貯金を取り崩して何とか生活はできていますが、これからはどうすればいいのか。遅ればせながら、人生設計も含めて練り直し……そのうえで、少しでも働くことができれば……そりゃ、図書館で時間をつぶすよりはいいですけどね……さあ、どうでしょうかね……」 そう言い終えると、笑みを浮かべた。浜中さんの笑顔を見たのは、最初の取材以来、十数年ぶりだった。 次回記事<「会社への復讐」として起業を選んだ元会社員男性を待ち受けていた「あまりにもつらい現実」>もぜひごらんください。
奥田 祥子(ジャーナリスト・近畿大学教授)