ラジオの前の「あなた」に語りかける原田年晴さん スポーツ中継失敗や浜村淳さんの壁越え 一聞百見
「テレビの前の『みなさん』と大多数に呼びかけ、ラジオをお聴きの『あなた』と個人に語りかける。『38度の熱が出てしんどいけど聴いてます』とメールが来たら、『さすがにしんどいですよね、がんばってください』と個人に返す。ラジオの前で大多数が、この個人に返しているのを聴いてます。リスナーとの間に一本の細い糸ができる。何回かやりとりすることで太い糸になり、リスナーとの関係が築けるんです」
ラジオはリスナーとパーソナリティーが対話しているような世界をつくる。
「(月曜から金曜までの)帯番組なんかを毎日聴いてくれてますから、パーソナリティーは隣にいてる兄ちゃん、おっちゃんになる。イベントで知らない人がポーンと肩をたたいてきて『原田さん、いつも聴いてるよ』となります」
リスナーがいつも横にいる感覚でマイクに向かう。
「ええ媒体ですよ、ラジオは。私は大好きです」
■浜村淳に挑んだ20代
ラジオ局のアナウンサーになろうと思ったきっかけは高校の文化祭だった。
「フォークグループの演奏の司会を頼まれたんです。『ええ声してるなあ』『上手やで』と褒められ、その気になりました。もともと学校の先生か電車の運転士になりたかった。(就職活動で)実は私立高校から内定もらってたんですけど、ラジオ大阪の内定が出て、こっちを選びました」
最初の仕事はニュースを読むことだった。
「プロ野球のナイター中継で五回裏に50秒のニュースを読みました。『一緒にブースに入ろか』と聞く先輩に『大丈夫です』と返したものの、手はふるえるわ、原稿もめくれへんわ、なんとか読み終えたけど散々なデビューでした」
スポーツ中継でも大失敗した。
「大学ラグビーの試合で、5メートルスクラムで両チームが押し合う際、スクラムが『動いた』と言うところ『いごいた、いごいた、いごいてトラーイ』とやった。大阪弁丸出しの実況なんてありえへん」
入社3年目で朝の番組に大抜擢(ばってき)。が、その時間帯は毎日放送が浜村淳さん、朝日放送が道上洋三さんという人気パーソナリティーが高い聴取率を誇っていた。