【吉田秀彦連載#11】弱い印象だった鈴木桂治と組んだ瞬間「これはやべえな…」
【波瀾万丈 吉田秀彦物語(11)】2000年のシドニー五輪は3回戦敗退。その後は体重が増えていたので100キロ級に階級を上げました。01年の講道館杯から100キロ級の強化選手になれるように頑張りましたが、04年アテネ五輪は頭にありません。目の前の試合に勝つことだけ。今みたいに出る試合を選べないし、どんどん出るしかなかった。 【写真】井上康生のセンスは素晴らしかった その講道館杯100キロ級で戦ったのが鈴木桂治(※1)です。1年前くらいまでの印象は「めちゃくちゃ弱い」(笑い)。天理大での強化合宿で桂治が大外刈りをかけてきたので打ち返したら、首を痛めたらしく翌日の練習には出てこなかった。練習でボコボコに投げていたし「絶対、勝てるわ」と思っていました。 ところが組んだ瞬間に「めちゃ強くなってる。これはやべえな…」と。それでも自分なら投げられると思って、背負い投げをかけたら右太ももを肉離れしてしまって、負け…。練習の時と全然違って、大学生の成長の度合いはすさまじいと感心しましたね。 全日本選手権では井上康生とも戦いました。場外で「待て」がかかり組み手を離しました。そうしたら康生のもろ手刈りが飛んできて。尻もちをつきましたが「待て」はかかっていなかったとのことで「有効」の裁定…。「それはないでしょ!」と納得いかなかったなあ。ただ康生のセンスは素晴らしかった。日本人らしい体形で腕が短くて太く、間合いが取りづらい。組み手で上からヒジを入れても入らず、やりづらかったですね。 篠原信一とは実業団の大会で戦いました。めちゃくちゃ力が強くて体重のかけ方もうまくて腕が重かった。信一の体重は140キロくらいあったし、圧力がすごかった。自分とは引き分けでしたけど、よく練習をしていたし、強かったですね。 篠原といえばシドニー五輪100キロ超級決勝(※2)ですよね。普通に見ていれば篠原の一本勝ち。それを判断できる審判がいなかった。あれをきっかけにビデオ判定が導入され、ジュリー(※3)もできた。 篠原がすごかったのは記者会見で審判を批判することなく言い訳もせず潔かったこと。「自分が弱かっただけですから」と話して「偉いな、信一」と見ていました。ところが…選手村に帰ってくると「先輩! 俺、投げてましたよね! 自分、勝ってましたよね!」って(笑い)。ただ銀メダルに終わったことで逆に有名になった。人生って不思議ですよね。 そして、自分の柔道人生はいったん、幕引きとなります。 ※1 アテネ五輪100キロ超級金メダル。現全日本男子代表監督。 ※2 ダビド・ドイエ(フランス)戦で篠原は内股すかしを決めるも判定はドイエの「有効」となり「世紀の誤審」と呼ばれた。 ※3 審判員を監督する人。審判委員。
吉田秀彦