57歳で現役の三浦知良が“引退”に触れた瞬間 20年前…吐露した率直な心境「あと2、3年」【コラム】
【カメラマンの目】京都でプレーしていた三浦知良が自身の引退に言及していた
11月11日、国立競技場で行われたJFL第28節クリアソン新宿対アトレチコ鈴鹿の試合後、報道陣が待つミックスゾーンに三浦知良はスーツ姿で現れた。残念ながら試合には怪我のためメンバー外となったが、カズは報道陣の前に立ち、現役選手として来シーズンも鈴鹿でプレーすることを明言した。 【写真】キングカズ、1993年J開幕戦で左腕に「エルメス製」腕章を巻いた実際の姿 来シーズンを戦うカズは58歳になる。常識的に考えれば、プロ生活40年を数えることになる選手が存在するのは驚きでしかない。そして、本人であるカズ自身でさえ30代前半のころは、ここまで現役を続けるとは思っていなかったのだ。それを裏付けるエピソードがある。 1999年12月30日、ブラジルのサンパウロ。友人のブラジル人カメラマンから連絡があり、カズがブラジルに来ていることを知らされた。翌日の大晦日に地下鉄リベルタージ駅の広場で行われる、日系人たちのイベントに参加する前のこの日、カズが話を聞かせてくれるから来ないかと誘いを受けた。指定された場所はカズの知り合いだったのか、東洋人街にある日系人が店主を務める土産屋で、その2階で話を聞くことになった。 当時のカズはブラジル、イタリアに続く海外でのプレーとなったクロアチアの地から帰国し、京都サンガのユニフォームに袖を通していた。年齢は32歳。いま振り返ると、純白のシャツに黒のジャケットを羽織って現れたカズ(翌日の日系人のイベントではジャージ姿だった)との会話で、もっとも興味深いものになるのは、彼のサッカー選手としての行く末について語った言葉だ。 「レベルを落とせば37、38歳くらいまではできると思う。でも自分のなかでイメージしているサッカーがある。トップレベルのサッカーができるのはあと2、3年くらいかな」 そう、カズは話していた。このときのカズは自分の現役生活は、長くても30代後半までと考えていたことになる。たとえ30代で幕を閉じたとしても、15歳から始まったサッカーで世界を目指すカズの挑戦は、十分に成功の物語を紡ぐことができたと思う。 「15歳でブラジルに来たとき、日本人がサッカー選手の格好をしているだけでよく笑われた。24時間バスで移動したり、デコボコのグラウンドで試合をしたり、19歳でサントスでプレーしたときも全然ダメで、メチャクチャ批判された悔しさとか、世界レベルでプレーした自信とか、ブラジルは色々な意味で自分のプロサッカー選手としての原点だよね」 ジュベントスに始まりキンゼ・デ・ジャウーでのプレーを経てサントスFCへ。それからマツバラに移籍し、そしてCRBにキンゼ・デ・ジャウーと渡り歩きコリチーバでもプレーする。そして、再びサントスFCへと返り咲く。カズがサンパウロ州の名門サントスFCでプレーしていたことは良く知られているが、彼は実に多くのクラブを渡り歩いている。 カズがブラジル各地でプレーしたことを実感する出来事を、自分も経験している。2000年のオリンピック・シドニー大会の南米予選は、ブラジルのパラナ州ロンドリーナ市で集中開催されたのだが、この激戦を取材したときのことである。 最終日の取材を終えて、ホテルに帰るために乗ったタクシーのドライバーから「カズはいまどこでプレーしている」と聞かれた。どうしてそんな質問をするのかと尋ねてみると、ドライバーはかつてカズが所属していたコリチーバで一緒にプレーした元選手だった。