なぜ出雲駅伝で創部11年目の東京国際大が初出場初優勝の快挙を成し遂げたのか…校内放送で部員募集の過去も
「今季は故障で出遅れていた山谷が夏合宿から良くなってきたんです。彼が戻ってきたのがチームにとって大きかった。丹所には『前半は集団についていき、後半勝負』という話をしていたんですけど、自分の判断で前半からいき、後半もよく我慢してくれました」 今回は気温が30度を超えて、夏のような日差しがランナーたちの体力を削った。そのなかで丹所の走りはセンセーショナルだった。 「1区山谷がトップと5秒差でつなぎ、常に先頭グループでレースを進めたことで、普段やっているようなトレーニングをレースで表現できた。トラックの記録で劣る選手が、しっかりと走れたのは、この天候とレース全体の流れが良かったからだと思います。でも、創部11年目でのタイトルは正直びっくりしています」 駅伝部は中大OBの横溝三郎総監督、大志田監督の指導体制で2011年に創部。最初は校内放送で部員を募集して4人の選手でスタートした。その1年目、大志田監督は選手のスカウトに力を注いだという。 「最初は大学の名前すら覚えてもらえず、有力選手はなかなか入ってくれませんでした。5000m15分00秒前後の選手を強化していき、5年目に予選会を突破して、箱根駅伝に出場しましたが、勧誘は厳しい状況でした。でも今日の優勝でスカウティングにいい影響が出ればと思っています」 チームとしての転機は東京五輪10000m代表になる伊藤達彦(現Honda)が入学して、強くなったことだろう。伊藤が4年時(2019年度)に全日本大学駅伝に初出場して4位。4回目の参戦となった箱根で5位に急浮上して、初めてシード権を獲得した。 本来であれば前回が出雲初出場になるはずだったが、昨年は新型コロナウイルス感染拡大防止の観点から「中止」になり、初出場が“延期“となった。その間、伊藤の4年時に1年生だった丹所、山谷ら3年生世代が力をつけると、今季は5000mで13分台を持つ強力ルーキーも加入。創部から10周年のメモリアルイヤーに出雲で初タイトルに到達した。