人生も、日本陸上界も変えた1991年の世界一 「こけちゃいました」のマラソン谷口浩美さん
今から32年前の1992年バルセロナ五輪。「こけちゃいました」のフレーズで一躍時の人となった。陸上男子マラソンの谷口浩美さんは転倒の影響で8位。それでも注目を集めたのは、前年の世界選手権・東京大会を制していたからだ。34年ぶりに東京に戻ってくる来年9月13日開幕の世界選手権まで残り1年を切った。今でも鮮明に覚えているという当時の話を聞くべく、谷口さんの故郷で、現在暮らす宮崎県に向かった。(聞き手 共同通信・山本駿) 【写真】「実は競技中に…」やり投げ金メダル・北口榛花選手が偉業達成の裏で感じていた異変 緊張、悔しさ、反響、そして今後。パリ五輪を終えた思いを語る
陸上の世界選手権は1983年に始まり、1991年の第3回大会で日本が開催地となった。それまでの過去2大会はメダルなし。男女を通じて日本勢初の金メダルを獲得する、歴史に残る舞台となった。 「まだ世界選手権の意味合いも分からない時代。正直、そこまで自国開催への思いはなかった。1988年のソウル五輪に出場できず、ちょうど次のバルセロナ五輪の前年だったから狙おうと思った」 「当時は日本人が勝てるはずがないと言われていて、人気もなかった。でも、序盤で女子マラソンの山下佐知子さんが銀メダルを取り、男子100メートルのカール・ルイス選手(米国)も世界新記録で優勝。そこから一気に盛り上がった。山下さんが銀メダルを取った時はまだ札幌で調整していたが、もう金メダルしかないと思って練習に行った」 男子マラソンは最終日の9月1日に実施。朝6時スタートながら猛暑のレースとなったが、入念な準備が実を結んだ。
「世界選手権に出るまでに13回マラソンを走っていた。13回目のマラソンは失敗したが、解説者の一人が『気温10度以下のレースで優勝したことがないんじゃないか』と言っていたのを聞いた。その話をもとに、1~13回目までの気象条件など全てのデータを集めて対策を立てた」 「実際に1989年夏の北海道マラソンで優勝していた。暑さに弱いと思っていたが、僕は調子乗りタイプ。『俺は暑さに強いんだ』と勘違いさせて、暑さを2時間10分ぐらい我慢できれば大丈夫だと考えるようになった」 「旭化成では宗さん(茂、猛の兄弟)たちが100日前からのトレーニングで本番に合わせるシステムを持っていたので、練習メニューを組んでもらった。2回目のマラソンからやっていたが、14回目は10日単位での日誌もつくった。体調管理についてや、疲労回復のためのマッサージを入れたか、ビールを飲んだかどうかまで記入。あれだけ事細かに計画したのは初めて。それが全部プラン通りに進んでいった」