人生も、日本陸上界も変えた1991年の世界一 「こけちゃいました」のマラソン谷口浩美さん
「世界の選手たちがどんなレースパターンを得意にしているかもリサーチした。ソウル五輪金メダルのジェリンド・ボルディン選手(イタリア)の攻め方はハーフ&ハーフ。半分走って、半分はまた新しいレースという考え方をしている。エスビー食品にいたダグラス・ワキウリ選手(ケニア)は30キロまでいって、残りの12・195キロという分け方。新聞記事で情報を得て、勝負を想定していた」 当日は自信を持ってスタートラインに立った。終始先頭集団をキープ。終盤にスパートして逃げ切った。 「まず給水所。今はアルファベット順などで並べられているが、僕たちの時はテーブルに全部一緒に置いてあった。それがバルセロナのこけちゃいました、にもつながるんですが…。集団だと人が多くて取れないから、僕は5キロ地点で判断した。(歩道と給水テーブルの間に)立っている役員に『すみません、どいてください』と声をかけて反対側を走って給水を取った。日本語で通じるからラッキー。15キロぐらいでは(優勝候補の)中山竹通さんの分まで取って渡した。その時に顔を見たら頬がやつれて見えて『今日は駄目なのかな』と思えた(実際に途中棄権)。」
「30キロで1度飛び出したのにも理由がある。給水所は先頭に立つと取るのが楽。そこで考えたのは、自分が取りに行けば『谷口はスパートではなくて給水にいった』と思われるだけだろうと。後ろの集団は目線がみんなボトルに行くから、取ってすぐスパートした。目線を上げたら慌てるだろうと思った。それほど突き放せずに集団に戻って休んだが、10人ぐらいに絞れたのは良かった」 「35キロ地点を通過する時は諦めもあったが、隣に篠原太君がいて、自分の時計をピッと押すのが偶然見えた。押すにもエネルギーが必要だから、それだけ余裕がある。ということは俺は篠原君より強いわけだから、もっと余裕があるはずだと、プラス思考が働いた」 「最終盤は暑さを気にしてみんなは首都高速の陰を走っていたが、僕は反対側で中継車をペースメーカー代わりに使ってスピードを上げた。そうしたらみんながこちら側に寄ってきて斜めに走ることになる。42・195キロの中で少しでも余分に走らせられると思った」