人生も、日本陸上界も変えた1991年の世界一 「こけちゃいました」のマラソン谷口浩美さん
「自分が強ければただ走るだけでいいが、弱いからいろいろと考えないといけなかった。いろんなタイミングが当たって、してやったりのレースだった。単に勝ったからではなく、準備から全てがうまくいって、僕の最高のマラソン。僕の人生も日本陸上界も、大きく変えてくれた」 初出場のバルセロナ五輪に向けては重圧もあった。本番では22・5キロ付近の給水所で、後続選手に左足を踏まれて転倒。すぐに立ち上がり、脱げた靴を履いて前を追ったが、タイムロスが響いて期待された表彰台には届かなかった。 「世界選手権を優勝したことで国民の方に知ってもらえたことも大変だった。(この取材中にも)気付かれて声をかけてもらったでしょ。60歳を過ぎても言われる。当時が一番インパクトが強かった。翌日の9月2日も朝6時から皇居の周りに練習に行った。サラリーマンが地下鉄の入口から出てくるが、1面に『谷口金メダル』と書かれた新聞をみんなが持っていた。恥ずかしくて下を向いて走っていたのを覚えている」
「でも世界選手権で優勝したからこそ『こけちゃいました』が世の中に広まることにもつながった。転んだ場面をリプレーで流してくれたが、当時の技術ではなかなかできないことだったと聞く。後から知ったが、僕だけを撮っていたカメラが1台あったらしい。世界選手権がなかったら専用カメラもなく、あの映像はなかっただろう。国際映像でも流れて、海外の選手たちにも知ってもらえる機会になった」 「海外に行くと、五輪に出場するよりもワールドチャンピオンの方が名前が売れている国も多い。文化の違い。日本は世界選手権優勝といってもあまりピンとこないかもしれない。でも例えば、サッカーは五輪よりもその競技だけのワールドカップ(W杯)の方が価値がある。日本でももっと世界陸上のすごさが広まってもいいんじゃないかと思っている」 来年の世界選手権は陸上人気を高める絶好の機会。パリ五輪で金メダルを獲得した女子やり投げの北口榛花選手(JAL)を筆頭に盛り上がりが期待されている。