技術屋が書いたベストセラー数学書――和算家・吉田光由(1598~1672)
海賊版が生んだ遺題継承
『塵劫記』がベストセラーになると、たちまち海賊版が出てきた。光由は対抗するために、次々と改版を重ねた。 遊戯的な問題を追加したのも、海賊版との差別化のためである。寛永8年(1631)版の『塵劫記』は、二色刷りだった。色刷りは世界初の試みといわれるが、素庵の嵯峨本で培った印刷技術の成果であろう。しかし、この二色刷りもすぐに真似られた。 考え抜いた光由は、巻末に答えのない問題をつけた。寛永18年(1641)の『新編塵劫記』である。良い問題を作ることは、実力がなければ難しいから、いい加減な海賊版は作れない。また、光由がつけた問題が解けない先生は先生に値しないこともすぐばれる仕掛けだった。 著作権保護のなかった時代である。単に真似されることを嫌ったのではなく、内容に間違いのある海賊版が出て光由の著作と思われたり、実力のない者が海賊版を使って教えたりすることに、光由は耐えられなかったのだ。 ところが『新編塵劫記』は、光由の予想をこえる現象をひきおこした。多くの数学者がこの問題に挑戦し、解答が出るとそれを本にし、また自らも懸命に考えて問題をつけるという習慣が繰り返されるようになったのである。これを「遺題継承(いだいけいしょう)」という。 この遺題継承は、その後170年間も続き、結果的に、日本の数学レベルを大きく向上させることになった。 また、海賊版を含めた一連の『塵劫記』シリーズから数学にのめり込んだ人々は、貪欲に中国や朝鮮の数学書を漁った。そして彼らは、『塵劫記』のルーツである『算法統宗』や、それよりもっと古い、元の朱世傑(しゅせいけつ)の『算学啓蒙(さんがくけいもう)』や、南宋の楊輝(ようき)が著した『楊輝算法』に出会うことになる。そこには天元術や算木・算盤(さんばん)を用いた計算法があり、より高度な数学を含んでいた。そんな数学の世界に魅了された一人が、のちに算聖(さんせい)と呼ばれた関孝和(せきたかかず)その人であった。 『塵劫記』は、鎖国が徹底された時代にあって、和算という日本独自の数学文化を発展させる導火線になったのである。 ◎鳴海風(なるみ・ふう)1953年、新潟県生まれ。東北大学大学院機械工学専攻修了(工学修士)後、株式会社デンソーに勤務。愛知工業大学大学院で博士(経営情報科学)、名古屋商科大学大学院でMBAを取得。1992年『円周率を計算した男』で第16回歴史文学賞。2006年日本数学会出版賞。『円周率の謎を追う 江戸の天才数学者・関孝和の挑戦』(くもん出版)が第63回青少年読書感想文全国コンクール中学校の部課題図書。主な著書に『算聖伝 関孝和の生涯』(新人物往来社)、『江戸の天才数学者』(新潮選書)、『美しき魔方陣』(小学館)などがある。
鳴海風