「単車」「HY戦争」「カタナ狩り」! もはや死語となった昭和のバイク用語5選
HY戦争(えいちわいせんそう)
「H」はホンダ(HONDA)、「Y」はヤマハ(YAMAHA)のことで、1970年代後半~1980年代前半頃に巻き起こった両社の熾烈な販売競争を「HY戦争(えいちわいせんそう)」と呼んでいました。 当時、国内の2輪車販売台数は、1970年代頃からうなぎ登りに上昇し、1982年にピークとなる約327万台を記録(日本自動車工業会調べ)。シェアは1位がホンダ、2位をヤマハが占めていましたが、1979年にヤマハがトップシェア奪取を宣言。当時、大きな人気を博した50ccスクーターを中心に販売攻勢をかけ、ホンダから1位の座を奪う目標を掲げたのです。 当時、ヤマハでは「パッソル」「パッソーラ」「ベルーガ」など50ccの新型スクーターを市場投入。それに対し、ホンダは「タクト」や「リード」など様々なスクーターモデルで対抗し、いわゆるファミリーバイクの販売合戦が繰り広げられました。しかも、当時、これらスクーターは価格もリーズナブルで、新車価格が10万円台前半もざら。中には6万円台で購入できるものもあったほどです。50ccスクーターが今では考えられないほど安かった時代ですね。 その後、HY戦争は、250ccや400ccといった中型限定自動二輪免許で乗れるギア付きスポーツモデルの争いにまで発展。「VT250F対RZ250」「CBX400F対XJ400」といったライバル車による販売競争も勃発しました。 なお、HY戦争は、1980年や1981年をピークに、その後は徐々に沈静化していったといわれています。ですが、後々までその影響は続き、1980年代~1990年前半に巻き起こったレプリカバイク・ブームでも、「NSR250R対TZR250」など、ホンダ車とヤマハ車の人気モデル対決はしばらく続くことになります。
カタナ狩り(かたながり)
戦国時代などに農民や僧侶など、武士以外の身分から刀をはじめとする武具(武器)を取り立てた政策を「刀狩り」というのはご存じの通り。でも、バイク用語の「カタナ狩り(かたながり)」は、1982年に登場した「GSX750Sカタナ」の違法改造取締りを意味した造語でした。 1980年代に生まれたスズキの名車といえば、やはり「カタナ」が代表格。元祖は1981年にデビューした輸出仕様車の「GSX1100Sカタナ」で、「日本刀をイメージ」したというシャープで個性的なフォルムは、ハンス・ムートが率いるターゲット・デザインがデザインを担当。最高出力111PSを発揮する高性能な1074cc・空冷4気筒エンジンなどとのマッチングにより、世界的に大注目を浴びました。 その国内仕様1号車が、当時のメーカー自主規制により国内最大排気量だった750ccエンジンを搭載したGSX750Sカタナ。ところが、このモデル、最高出力を69PSに抑えたほか、当時の国内法規制に対応するため、ハンドルをかなりのアップタイプに変更。元祖カタナのGSX1100Sカタナが採用した低いセパレートハンドルとはあまりにもかけ離れたかっこ悪さのため、「耕耘機ハンドル」と揶揄(やゆ)されたりしました。 また、フロントスクリーンも、GSX1100Sカタナには装備されていたのですが、こちらも当時の法規対応でGSX750Sカタナには未装備。ところが、GSX1100Sカタナに憧れるファンは、GSX750Sカタナのスタイルなどに納得しなかった人も多数。そのため、750cc版ユーザーのなかには、ハンドルとスクリーンを1100cc用に交換して乗っていた人も多かったようです。 それに対し、当時の警察当局は、これらカスタムを違法改造とみなし、取締りを実施。捕まったユーザー間で「カタナ狩り」と呼ばれたことで、当時の隠れた流行語にまで発展したのです。 ともあれ、今では当たり前でも、昔は御法度だった装備も多かったことが分かるエピソードのひとつが「カタナ狩り」だといえますね。
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