「覚悟はありました。だからずっと電話が気になっていた」現役ドラフトでロッテ→西武移籍の平沢大河…苦しんだ“甲子園の星”を支えた言葉と「強い想い」
「東北に優勝旗を」
「意識していない人もいたかもしれないけど、自分は当時、東北のチームが優勝をしていないのを知っていたので、東北に優勝旗をと、入学前から考えていました。特に高3夏の大会は決勝までに岩手代表の花巻東高校、秋田代表の秋田商業を破って、勝ち進んだこともあり、それら東北勢のためにも勝ちたいと強く思い、気合が入りました。東北に優勝旗を持って帰りたいという気持ちが強かった」 3年夏の甲子園では決勝で東海大相模高校に敗れ、準優勝。仙台駅に戻ると見たこともないような人だかりがあった。駅構内にも外にも仙台育英ナインを見ようと人が集まっていた。「感動をありがとう」と声をかけてもらった。高校3年間を通じて一貫して掲げていた自分の想いが、野球のプレーを通じて伝わっていた事に嬉しい気持ちが湧いてきた。だから決めた。プロ入りして、もっともっと野球を通じて、人の心を動かせるようなプレーをしたい。マリーンズに入団後も、その想いを第一にバットを振り続けていた。
平沢を支えた恩師の言葉
結果が出ず不安にさいなまれる時、いつも心に置いていたのが仙台育英時代の恩師である佐々木順一朗監督(当時)の言葉だ。 「不安がなかったら、人は頑張れないぞ。不安があるから、努力をする。成長をしようとする。今、不安を抱えているのなら大丈夫。きっとうまくいくよ」 高校最後の夏県大会前にして、「甲子園に行けなかったらどうしよう」という選手たちの不安を、力に変えてくれた指揮官のメッセージだった。この印象的な言葉は、プロ入り後も平沢を後押ししてくれた。ここまで9年間、なかなか結果が出ずに苦しんだことも多かったが、その言葉がいつも、右や左に動きそうになる心の軸を真ん中に戻してくれた。
陥った“負のスパイラル”
プロ9年目の今年も苦しいシーズンだった。前年の出塁率は.311。さらにその数字を挙げることでチームに貢献しようと意識した結果、負のスパイラルに陥ってしまった。 「出塁率を考えすぎてしまった結果、低めのボールを見逃すことが増えてしまった。打てるボールも見逃すこともあった」 二軍でも思うように結果を残せず、一軍で打席に立つことなくシーズンを終えた。それでも「一軍に呼ばれたら、こういう仕事をするぞといつも考えながら準備をしていた」。どんな時も気持ちを前に向け続けていられるのは、平沢という選手の最大の魅力だ。オフシーズンに入ってからは、来季に向けて「原点」を意識していた。プロ1年目の二軍戦で超特大のアーチを放ったように、プロ2年目にストレートに狙いを澄まして初本塁打を放ったように、「もう一度、原点に戻って思い切りのいいスイングを取り戻したい」。その決意を固めていた矢先に、人生のターニングポイントが訪れた。
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