「覚悟はありました。だからずっと電話が気になっていた」現役ドラフトでロッテ→西武移籍の平沢大河…苦しんだ“甲子園の星”を支えた言葉と「強い想い」
直面した「プロの壁」
電話を切った後、マリーンズでの色々な思い出が浮かんできた。新入団会見で、ステージから初めて見た客席のファンの姿。「ファンの人の目の前でユニホーム姿を披露させていただいて、強い実感が湧きました。平沢コールをしていただいて、ステージ上で鳥肌が立つくらいに圧倒されました」 プロ入り後の日々は思い通りに進まなかった。1年目から一軍キャンプに抜擢されるなど、周囲からの強い期待を感じたが、それが気負いになっていた部分もあった。「一軍の舞台は戸惑いというか緊張というか慣れないというか……雰囲気にのまれた感じはした。見ているのとやるのではやっぱり全然違う」。プロ1年目をそう振り返る。 5月に一軍に初昇格したが、快音を響かせることなく10日で登録抹消になった。なかでも忘れられないのはスタメンに起用された5月20日のバファローズ戦(京セラドーム)。最初の打席は二ゴロ。続く打席は空振り三振。当時、バファローズのエースとして君臨していた金子千尋投手(現ファイターズ二軍コーチ)の投球の前に、手も足も出なかった。一方的にねじ伏せられて凡退。打席の中で、まるで大人と子供のような圧倒的なレベルの差を痛感した。3打席目で、代打が送られた。
悔しさを糧に
「ボクの打席の時はポンポンとストライクゾーンに投げてくる投球でした。決して手を抜いているとかではなくて、ボール球を使わなくても絶対に抑えられる、という圧倒的な自信とプライドのようなものを感じた。それがマウンドから伝わってきた。他の先輩たちの打席とは明らかに違う攻め方。実力の差を感じました。練習をして、もっと頑張って一流の投手に、本気で勝負をしてもらえる打者にならないといけないと思いました」 試合後にコーチ室に呼ばれ二軍落ちを通告されると、翌日には野球バッグにバットケース、キャリーバッグを手に一人、新大阪駅から新幹線に乗り込んだ。一軍選手であれば荷物はすべて運んでもらえる。しかし、急な二軍落ちの時などは自分でそれを運び移動しなければいけないこともある。これもまたプロの厳しさである。 悔しさはその後の糧になった。二軍では、強いスイングを意識した打撃練習を繰り返した。打開への手ごたえを掴んだ試合がある。6月24日、ロッテ浦和球場で行われたイースタンリーグ・ライオンズ戦。インコースのストレートをフルスイングした打球はグングンと伸び、ライトスタンド後ろに備え付けられている約25mの防球ネットのはるか上を越えていった。文字通りの場外弾。球場奥の道路を挟み隣接するマンション敷地内からホームランボールが見つかった事から、推定飛距離は150m。周囲も驚く一発だった。
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