福田秀平が語るトライアウトの意義 「区切りをつけるという意味でも受けてよかった」戦力外からくふうハヤテへ
福田が言うように野球界の裾野は広い。国内野球の最高峰がNPBであるということは言うまでもないが、「野球を続ける」ことを第一に考えるなら選択肢は広がる。福田のようにボロボロになるまで野球を続けたいと願う選手にとって、独立リーグや社会人野球、海外リーグは重要な受け皿である。 【トライアウトは出会いの場でもある】 一方で受け入れる側にとっても、NPBでプレーしてきた選手は大きな影響を与えるため、ニーズが尽きることはない。 トライアウトがなくなるということは、そんな選手とチームの接点が小さくなるということである。 福田のもとには、今年戦力外を受けた選手から多くの相談が寄せられているという。そんな選手たちに福田は「受けてみな」と背中を押している。 「新たな発見があるし、もしかしたら今まで応援してくれた人に見せる最後のユニフォーム姿になるかもしれない。なにより、自分に区切りをつけるという意味でも、オレは本当に受けてよかったと思う。だから、『もし悩んでいるなら受けてみな』って言うようにしています。どんな選択をするにしても、その1日は決断するのに大きなポイントになるので。後悔なくやりきってほしいなっていう思いはありますね」 トライアウトとは区切りの場であるとともに、出会いの場でもある。その出会いというものは、NPBに限ったことでも、野球に限ったことでもない。 福田はくふうハヤテを退団した今でも、都内と静岡の両方に家を持っている。 「静岡に行って、この1年すごくいい出会いがありましたし、せっかくご縁をいただいたので、僕ができることをやっていけたらいいなと思っています」 福田にとって、静岡はつい1年前までまったく縁がなかった地だ。だが福田は、第二の人生でも静岡に関わり続けたいと願っている。そんな出会いがあったのも、葛藤を乗り越えてトライアウトに挑戦したからである。福田の言葉と経験には、トライアウトの意義が詰まっているように思えてならない。 つづく>> 福田秀平(ふくだ・しゅうへい)/1989年2月10日生まれ、神奈川県出身。多摩大聖ヶ丘高から、2006年の高校生ドラフトでソフトバンクから1位指名を受け入団。内外野守れるユーティリティープレーヤーとして活躍し、15年には32回連続盗塁成功の日本記録(当時)を樹立。19年オフ、FAでロッテに移籍。23年に戦力外通告を受け、24年はウエスタンリーグに新規参入した新球団「くふうハヤテベンチャーズ静岡」でプレー。58試合に出場するも、ケガに苦しみシーズン限りでの現役引退を表明した。
杉田純●文 text by Sugita Jun