1日20時間働き、原価100%の商品もあった…愛知の小さなパン屋が5年で「日本一売れるパン屋」になるまで
成功する企業は何が違うのか。「マジカルチョコリング」「ねこねこ食パン」などの大ヒット商品を生み出したパン専門店「アンティーク」を運営するオールハーツ・カンパニーは、もともと愛知県の1軒のパン屋から始まった。そこから売上高100億円の企業になるまでには、創業者・田島慎也氏の苦難の日々があったという――。 【写真】現在はシンガポールに拠点を移している田島慎也氏 ※本稿は、スピカコンサルティング食品業界支援部『VALUE UP 成功事例でわかる業界特化型M&Aと企業価値向上戦略 食品業界編』(クロスメディア・パブリッシング)の一部を再編集したものです。 ■中途半端なサラリーマンにはなりたくない 2024年現在41歳。田島慎也氏は愛知県半田市の出身で実家は養豚業を営んでおり、決して裕福な家庭ではなかったという。一般的な家庭に育った彼は、20歳のときにわずか15坪のベーカリーから事業をスタートさせた。ここから一代で売上100億円超の企業をつくり上げ、その企業を巨額の企業価値で譲渡した後もなお、連続起業家として今ではグローバルな舞台で活躍している。そんな彼の経営者人生を振り返っていこう。 高校は進学校に通っていた田島氏は、競争の激しい高校生活の中で自分の人生に疑問を抱いた。 「このまま中途半端に大学に進学して、中途半端にサラリーマンになるくらいなら、自分の好きなことで手に職をつけ、身を立てたい」 ものづくりが好きだったことから、創造性が豊かなビジネスの世界に興味を持った。当時、高校2年生の田島氏にとって身近なビジネスは食の世界であり、食品業界での起業を考えるようになる。校則ではアルバイトが禁止されていたものの、教師に将来の夢を語り、説得することに成功した。この決断力と行動力は起業家としての素養があった証だろう。 ■パン屋に惹かれ、大学進学をやめる 自分の進むべき道を決めるため、洋食店、パン屋、ケーキ店など、様々な場所で働いた。その中でも特にパン屋(ベーカリー)に強く惹かれた。 「パンは小麦粉という1つのものから、自分の発想次第でいろんなものをつくれる。そんなクリエイティブなところに魅力を感じました。店舗ごとに扱う商品や客層も異なっている業界なので、アイデア次第で勝負できます。スイーツなども考えはしたのですが、より多くの人が手にとってくれる客数の多い商売のほうが自分の志向には合っていました」 目標を定めたときの田島氏は本当に強い。リスクを取って挑戦することができる。もちろん考え抜いた末に勝算を持って挑んでいるのだが、田島氏は経営人生において常にリスクを取って挑戦してきた。 このときも、大学進学のための勉強を一切やめ、複数のベーカリーでアルバイトを掛け持ちし始めた。退路はすでに断っている。現地現物でベーカリーの経営ノウハウを学んだ高校時代だった。