1日20時間働き、原価100%の商品もあった…愛知の小さなパン屋が5年で「日本一売れるパン屋」になるまで
■家賃5000円で住み込みのパン修行 高校卒業後は神戸の有名ベーカリーで働こうと試みるものの、独立までに5~10年かかることを知り、最短で夢を実現するために一年制の調理専門学校に入学することにした。家族に負担をかけないよう、家賃5000円、風呂なしのアパートに住み込みで働き始めることになる。インタビューで画面に映る田島氏のシンガポールの自宅からは想像もつかないギャップだ。 「朝はパン屋で働き、その後学校に通い、夜はレストランで皿洗いをする毎日でした」 そのような生活を1年間続け、無事に卒業した。住み込み先からもう1年長く働いてほしいと依頼され、そこでパンの技術を一通り習得。そして、20歳を迎えたとき、当時の職場の同僚であった現在の奥様と共に、地元愛知に小さなお店を開いたのであった。 ■「地元で一番」を目指し、がむしゃらに働く 開業資金はそれまでにコツコツ働いて貯めた300万円と父親から借りた1000万円を合わせた1300万円だった。後に100億円企業の前身となる、小さなベーカリー「アンティーク」の開業だ。労働時間は1日18~20時間、とにかくがむしゃらに働いたと言う。 高校時代からの数年間、誰よりもパン屋開業に向けて努力してきたという自信が支えだった。経営やパンづくりの奥深さはまだわからないままだったが、まずは地元で一番の店を目指すことにすべての情熱を注いだ。「日本で一番パンのことを考えている」という気持ちだけが原動力だ。 開業後の極めて多忙な中でも、様々なパン屋を食べ歩いては研究し、徐々に売上が上がり始める。2年目には2店舗目を開業し、3年目には大きな借入を背負う覚悟で土地を購入し大型店を構えた。 そして2004年には株式会社オールハーツ・カンパニーを設立。後に「マジカルチョコリング」「とろなまドーナツ」「ねこねこ食パン」といった大ヒット商品を生み出す100億円企業の誕生であった。 創業5年目には店舗の月商が7000万円に達し、ベーカリー一店舗としては日本一の売上高を記録する。 「オーナーシェフとして寝ずにこだわった商品を良心価格で提供していたからだと思います。当時は自分の人件費も一切考えず、より良い商品を提供できるかに没頭しました」