村上春樹 新人賞授賞式のあと、作家・吉行淳之介と「文壇バー」に行った時のことを語る「あとにも先にも行ったのはその1回だけ」
◆Alexis Cole With One For All「Golden Earrings」
アレクシス・コールが歌います。「ゴールデン・イヤリングス」、バックのバンドは「ワン・フォー・オール」です。 <世間話⑤> 新人賞の授賞式のあとで、銀座のクラブに行きました。いわゆる文壇バーです。「姫」だったか「眉」だったか覚えてないですけど、いずれにせよ名の知れた一流クラブです。僕としてはべつにそんなところに行きたくはなかったんだけど、吉行さんに「君もいらっしゃい」と言われたので「はい」と言ってついていきました。 店に入るときれいな女の人は、みんな吉行さんのところにわあっと行っちゃうんです。当然ながら僕は末席で、そばにつく女の子も新入りの学生アルバイトみたいなレベルです。吉行さんって、本当にもてるんです。どうしてかはわからないけど、きっと何か女の人を引きつける特別な色気みたいなのがあるんでしょうね。それに話もうまいし、振る舞いも垢抜けています。 僕の席についた女の子は案の定、新入りのアルバイトで、家は千葉にあって「これから仕事を終えて家に帰ったら、お母さんが魚を焼いて待っているんだ」みたいなずいぶん地味な話をしました。なんでそんな話になったのかなあ? とにかくそれが僕にとって唯一の「文壇バー」体験です。あとにも先にも、そんなところに行ったのはその1回だけ。吉行さんに誘ってもらったおかげで、社会勉強みたいなのにはなりましたけど、そんなに楽しいところでもなかったな。ほんと、文壇というのはよくわからないです。
◆Sheryl Crow「Alarm Clock」
シェリル・クロウが歌います。「アラーム・クロック」、目覚まし時計なんて大嫌い。 <世間話⑥> 鰻屋の話に戻るんですが、吉行淳之介さんの短編に鰻屋の出てくるいささか気味の悪い話があります。ずっと昔に読んだきりでこまかい筋はうろ覚えです。もし間違っていたらすみません。でも、だいたいのところは合っていると思います。題名は『出口』。2人の男が(これは出版社に缶詰になっている作家と編集者という設定だと思うのですが)、とある遠くの街まで車に乗って鰻を食べに行く話です。 その町においしいと評判の鰻屋さんが一軒あるのですが、ここは出前専門でして、店の入り口は常にぴたりと閉ざされています。中に人のいる気配もありません。おまけに注文しても、肝(きも)を出してくれません。肝焼きも肝吸いもきっぱり「ありません」と断られる。どうして肝を出さないのか、そこが文字通りこの話の肝になります。ここではその事情を明かすことがはばかられるので、よかったら作品を読んでみてください。数ある吉行作品の中でとくに名高いものではありませんが、いかにも吉行さんらしい「ぬめり感」の漂う、ちょっと不思議な小品(しょうひん)になっています。