ネット上で賛否!阪神に惜敗の巨人原監督は「ボール3」から最悪併殺の重信に「待て」のサインを出すべきだったのか?
巨人は、8回にも岡本のタイムリーで2点を奪い、1点差に詰め寄っている。「たら」「れば」ではあるが、この7回にもう1点を奪っていれば、ゲームはどうなっていたかはわからなかった。 試合後、原監督は、3-0から打ちにいった重信を責めなかった。咎めるミスと、姿勢を支持するミスの線引きを明確にしている原監督らしいマネジメント術である。 だが、ネット上では、原監督が出さなかった「待て」のサインを巡っての賛否が議論になった。 「やはり勝っているチームの余裕、いや驕りがあったのかもしれない。『待て』のサインが出るのが当たり前」 「『待て』ではないかもしれないが、『絶対に振れ』でもない。3-0から振る場合はゾーンを狭めて、狙い球を決めてその球が来た時だけ」 「狙いは悪くないが、あの球は本当に狙ったところにきたから打ったのか。それともただ『待て』のサインが出ていないから打ったのか。そこが問題」 「3点差で負けていて終盤の一死一、三塁。力量を考えれば『待て』だよな」 「『待て』ではないが『打てない球を打て』でもない場面」 「試合の流れを読む力があれば、あそこは『待て』だと思う。西は100球を越えだしたあたりから制球が定まらないってのはデータでわかっていたはず。四球の可能性が高く、その後の展開は変わっていたかもしれない」 ファンの受け止め方としては「待て」のサインを出さなかったベンチの采配の是非より「待て」のサインがない中で、狙い球を絞りきれなかった重信を責めるトーンが強かった。つまり”セルフ待て“を貫くべきだったのではないか、という意見だ。 専門家の意見はどうなのだろう。 某大物OBに以下のコメントを聞いた。
「巨人の原監督は選手の積極性を引き出そうと、ああいうケースでは待てのサインを出さない。西のコントロールからすれば簡単にストライクを取れるので、四球狙いよりも3球狙い球を絞れた方がいいという考え方はありだろう。では重信は、どこにどういう打球を打つことをイメージして、どういうボールを狙っていたのか。西は梅野のサインにクビを振ってシュートを投じた。この日の西は曲がりの違う2種類のシュートを操っていたが、そのキレがなくなっていると、梅野は判断しシュートでないボールを要求したのだろう。西はゴロゾーンの低めにシュートをコントロールした。3-0からでも打ってくることを想定し併殺をイメージしていたのだ。重信のスイングを見る限り、逆方向を意識していたようだった。狙っていたボールだったのかもしれないが、低かったために引っかけた。重信は最も打ってはいけないゾーンのボールに手を出した。西は、この日、左打者に対しては、アウトコース中心の配球でシュートを軸にチェンジアップ、スライダーの出入りで対処していた。シュート狙いは間違いではなかったと思う。ただ3-0から打ちにいくのなら、もうボール1個上、あるいはボール一個真ん中に入ってくるボールを狙うべきで準備が中途半端だった。この球は打たないという消極的なマインドは必要ではない。しっかりと目付をして、このボールだけを打つという自己マネジメントを徹底しておくべきだったのである。原監督が求めていたのは、そこ。準備のない積極性は、ただの無謀であることを理解しておかなければ、重信は、今後レギュラーに定着できないし、チームの底上げにもつながってこない」 原監督が「待て」のサインを出さなかったことも、試合後、重信を責めなかったことも間違っていない。データ的には巨人が3-0から「待て」を出さないというチーム方針が明らかになったことで、今後、相手バッテリーの警戒心が強くなり、四球につながる可能性も高まる。問題は重信が、今回の教訓をどう受け取り、どう次へつなげるか。その連鎖がプラスに転じたとき巨人はとてつもなく強くなる。