悪魔的な性格の悪さは直せる?→“ドイツの哲学者”の答えが辛辣すぎて身も蓋もない
ゲームで強敵が「ぐおおおおおおお」と言いながら倒されていくとき、爽快な気持ちになる人は少なくないだろう。他者が苦しむ姿を見て喜ぶ、という「悪意」は生きていく上で必要のない感情にもかかわらず、なぜ存在するのか。人間の心に宿る制御できない「悪意」の正体とは――。※本稿は、戸谷洋志『悪いことはなぜ楽しいのか』(ちくまプリマ、筑摩書房)の一部を抜粋・編集したものです。 【この記事の画像を見る】 ● 魔王には「ぐおおお」と 言ってほしい 私たちはエゴイズムの問題を考えました。簡単に言えば、それは、自分を世界の中心に置き、自分の快楽を追い求めることです。あらゆる生物がエゴイズムを持っています。人間もその例外ではありません。 ところが、人間はこれとまったく異なる欲求を抱くことがあります。それは、自分の快楽を求めるのではなく、まったく反対に、他者の苦痛を求めるという欲求です。つまり、他者が苦しんでいるところ見て喜ぼうとする気持ちです。 そんな人がいるなんて信じられない、自分にはそんな欲求はまったくない、と思いましたか?でも、自分の胸に手を当てて、よく考えてみてください。本当にそうだと言い切れるでしょうか。 私はお説教したいのではありません。悪いことに楽しさを感じてしまうのだとしても、それは事実だから仕方ないのです。問題はそうした自分をどうコントロールするかであり、そのためには自分を知らなければいけません。
それに対して、自分にそんな意地悪なところはない!と思い込んでしまうと、かえって意地悪な自分をコントロールできなくなるかもしれません。 そういうわけで、自分自身のなかに潜む意地悪な側面に、目を光らせてみましょう。 突然ですが、あなたはゲームが好きですか。私は子どもの頃、よく友達とゲームで遊んでいました。コントローラーをバッグに入れて友達の家に集まり、みんなで大騒ぎしながらプレイしたものです。 最近では、協力して敵を倒すタイプのゲームが流行っています。そうしたゲームで一番盛り上がるのは、何と言っても、友達と一緒に強敵を倒したときでしょう。「ぐおおおおおおお」と言いながら消滅する魔王を眺め、友達とともに雄叫びを挙げる。そのときの爽快感はたまりません。 そういうとき、魔王にはやはり悶絶してほしいものです。これまで散々こちらを苦しめていた魔王が、一言も発さず、安らかに息を引き取ってしまったら、はっきり言って物足りません。せめて悲鳴くらいは聞かせてほしいですよね。